迦陵頻伽の南天招福の舞
2人ともかわいかった♪
続いて、竹伐りの儀
8人が2人1組になり、
導師の檜扇を合図に、両座一斉に竹を五段に伐ります。
勝った地域が豊作になるとされています。
今年は近江座が勝利!
早く切った人はわーっとかけていきました。
伐られた竹。
この破片は厄除けになるのだそう。
あとで本殿に入ると、いただけました。
退堂
迦陵頻伽の南天招福の舞
2人ともかわいかった♪
続いて、竹伐りの儀
8人が2人1組になり、
導師の檜扇を合図に、両座一斉に竹を五段に伐ります。
勝った地域が豊作になるとされています。
今年は近江座が勝利!
早く切った人はわーっとかけていきました。
伐られた竹。
この破片は厄除けになるのだそう。
あとで本殿に入ると、いただけました。
退堂
12時半、本殿前到着~。
竹伐り会式は14時からで、2時間前に着こうと思っていたのですが、家を出遅れたので、仕方ない・・。
でも、いい場所は取れました。
以下パンフレットより抜粋
「竹伐り会式の起源は、宇多天皇の寛平年間(889~897)にさかのぼります。初夏のある日、鞍馬山中輿の祖・峯延(ぶえん)上人が護摩の秘法を修していると、北の峰から大蛇が現れて上人を飲もうとします。
峯延上人は、千手観音菩薩、毘沙門天王、護法魔王尊の三身一体尊天の秘密の真言を唱えて祈った所、神呪の霊験がたちまち顕れて大蛇は斃(たお)れ死にました。このことを朝廷に奏上すると、人夫五十人を賜り、大蛇は切られて龍ケ嶽に棄てられました。
その後もう一匹の大蛇が現れましたが、こちらは暴れることなく、鞍馬寺の香水(本尊・尊天にお供えする水)を絶やすことなく護ることを誓ったので、閼伽井護法善神として祀られました。
先に祈り斃された大蛇は雄蛇で、後の大蛇は雌蛇だったそうです。この故事にちなんで、青竹を雄蛇に見立てて伐るのが竹伐り会式です。」
江戸時代の中頃から、近江・丹波の両座に分かれて伐る早さを競い、勝敗によりその年の両地方の豊凶を占うようになりました。
左右で違うのかわからなかったけど、
上に龍がいます。
こちらが近江座側。
角度的なものかもしれませんが、ちょっと雌っぽく見えました。
本殿の上です。中央は天狗の扇になっています。
14時になり、法螺貝の音が聞こえてきました。
テントの奥の神域前で吹かれています。
注連縄を斬るの・・超早かったです。
ひょいひょいっと来て、さっと切って行ってしまいました。
もうちょっと「よし、今から斬るで」という、
溜めの感じがほしかったなぁ^^;
大惣仲間参進
導師・衆僧行進(伶人道楽)
はい、みんな避ける六芒星。
本殿向拝にて出合之儀・酒浄・所礼が行われます。
七度半の御使(稚児)
導師・両座に「竹伐りの神事めでとう候」
導師に、「近江・丹波の竹見事に候」
丹波座に、「近江座の竹見事に候」
近江座に、「丹波座の竹見事に候」
導師に、「竹ならしあげ候」
両座に、「竹ならしあげ候え」
と順に言葉をかけていきます。
そして竹ならしのための板が敷かれます。
上手から竹が運ばれます。
掛け声とともに、思いっきり刀が振り下ろされます。
なかなかの迫力・・。
竹伐りはいろんな角度でされていました。
ただ、向きによって全く見えなかったりします。
竹ならしが終わると、
稚児が導師に、「竹ならし終り候」といいます。
一旦ここで、舞台整えられます。
一瞬これで終わりかと思ってしまいますね。
竹伐りはまたならしだけ。
迦陵頻伽の舞の後が本番です。
川上地蔵堂
遮那王と称した牛若丸(義経公)の守り本尊である地蔵尊が祀られています。牛若丸は日々修行のときにこの地蔵堂に参拝したといわれています。
源義経公供養塔
左が大黒天、右が恵比寿尊が祀られています。
大黒天
恵比寿尊
入り口にあった町石。ここであと五町です。
正直・・一人で山とか心細くて嫌なのですが、場所にもよりますね。ここは大丈夫でした。
誰もいなさそうに見えますが、ちらちら歩いています。
あと四町!やっと半分です。
句碑
筒島に 神尊ければ 磴けはし 海道
句碑
花杉に 息のにごりは 許されず 佳子
中門
ここであと三町
門の向こうは通行止め。
石がたくさん積んであるのが気になります。
貞明皇后御休息所蹟
大正13年(1924)鞍馬寺に行啓された、貞明皇后さまがお休みになったところ。
巽の弁財天
本殿の東南(巽)の方角にあるので、巽の弁天様と呼ばれています。
手水屋
龍が素敵です。
通れない昔の石階段。
本殿右手にある摂社、閼伽井護法善神社
祭神:閼伽井護法善神
奥を見ると、石垣が!
天井には龍がいました。ちょっとかわいらしい。
本殿入り口に、六月の行事が張ってありました。
こちらの法話も聞いてみたいな。
光明心殿
御本殿と六芒星(パワースポット)も一応撮ってみる。
正直・・神社などでパワースポットなどといってるのが私はあまり好きではないです。
そんなに軽々しく扱ってほしくない。
神聖な場所だったら、むやみやたらに入る場所ではないはずでは?
現にこのあとの神事では、関係者みんなこの場所を通るのを避けていました。そんなところに立つ??
わからない・・。
実際のところは知りませんが、こういうのは後から参拝者を呼び込むのに作ったような気がしています。
私はやはりこちらの石の方が、神聖さを感じます。
そして立ち入り禁止の神域です。
なので私はいつもこちらをお参りします。
狛犬・・ではなく虎。
ということで、ようやく?次は竹伐り会式です。
駅で、あじさいがきれいだったのでパチリ。
目的は、鞍馬寺の「竹伐り会式」です。
長年行こう、行こうと思いながら、なかなか行けずでした。
鞍馬寺も改めてちゃんと見たかった。
久しぶりの天狗さん。
去年は雪の重みでお鼻が折れるという事件?がありましたね。
案内板より
「奈良、唐招提寺の開山鑑真和上の高弟、鑑禎上人が、宝亀元年(770)、鞍を負った白馬の導きで当山に至り、毘沙門天を感得して草庵を結んだのが始まりです。
延暦15年(796)には、藤原伊勢人が王城鎮護の道場として伽藍を造営し、爾来、衆庶の信仰を集めてきた。
現在は鞍馬弘教の総本山であり、宇宙の大霊・尊天を本尊とする信仰の浄域です。山の精霊である天狗が住む山としても有名で、貴船へとつづく参道には、豊かな大自然の中に、牛若丸(源義経)ゆかりの「息次ぎの水」や「背比べ石」、枕草紙に記された「九十九折り」などの名勝古跡が散在し、多くの文学作品にも登場します。「初寅大祭」や「竹伐り会式」など由緒ある年中行事も多くあります。」
入山料300円かかります。
入った所で手を清めます。
入ってすぐのところに、「町石」というものがありました。
これは、本殿までの道のりを示すものです。
参道に八基あり、1町=110mを示します。
いいお天気で、平日にも関わらず人も多かったです。
童形六体地蔵尊
新しそうですが・・お地蔵様の姿がちょっとユニークw
普明殿(ふみょうでん)
ここからロープウェイに乗れます。
せっかくなので、ロープウェイは使わずに登ろう!
ということで、歩いて本殿を目指します。
ちなみに下のところから本殿まで歩いても40分程度です。
放生池(ほうじょういけ)
吉鞍稲荷社
祭神:吉鞍稲荷大明神、茶枳尼天尊
実際行ってみるとわかりますが、参道からずれたところにある鳥居。
なんか変な違和感・・。
同じ場所から正面を撮った所。右手にさっきの鳥居があります。
ね?変でしょ?
右手の鳥居の奥が、魔王の瀧です。
崖の上に護法魔王尊が祀られているそうな。
さらにアップ。お地蔵様がなんとなく見えます。
鬼一法眼社(きいちほうがんしゃ)
鬼一法眼は牛若丸に、「六輪三略」の兵法を授けた武芸の達人といわれています。
由岐神社(ゆきじんじゃ)
祭神:大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)
相殿:八所大明神
「天変地異が続く都を鎮めるため、天慶3年(940)、御所内に祀られていた祭神をこの地に勧請したのが当社の始めとされ、天王の御病気や世上騒擾(そうしょう)のとき、社前に靱(ゆき/矢を入れる器具)を奉納して平安を祈ったため靱社の名がつき、後に現在の社名となったとも伝えられています。
拝殿は重要文化財で、慶長12念(1607)豊臣秀頼によって再建されたもの。中央に通路(石段)をとって二室に分けた割拝殿という珍しい桃山建築で、前方は鞍馬山の斜面に沿って建てられた舞台造(懸造)となっています。本殿脇の石造りの狛犬一対も重要文化財。
京都三大奇祭の一つ「鞍馬の火祭」は、当社の例祭で、毎年10月22日夜に行われます。祭神勧請の際、篝火を焚いてお迎えしたという故事にちなんで、氏子らが大小様々の松明をかついで鞍馬街道から参詣するため、一面火の海となって壮観を極めます。」
龍がなかなかかっこいいです。
夏越しの大祓(茅の輪くぐり)の準備がされていました。
6月30日16時から
結構遅い時間からなんですね。
参列者には、お祓いした茅が授与されるそうです。
階段の途中左手にある、冠者社
祭神:素戔嗚尊
古く、鞍馬鞍馬冠者町にお祀りされていた社。
階段の途中右手にある、岩上社
祭神:事代主命(ことしろぬしのみこと)、大山衹命(おおやまつみのみこと)
古くより、鞍馬岩上の森にお祀りされていた社
大杉社
樹齢800年だそう・・。
古くより「大杉さん」と呼ばれ、心に願えば願い事がかなうとされているそう。
御本殿。
子供を抱いている珍しい狛犬です。
三宝荒神社
祭神:三宝荒神大神
古くよりこの地に火の神、竈の神様としてお祀りされています。
この日は引かなかったけど・・天狗みくじがあります。