お迎え提灯とは、万灯会有志が、「神輿洗い」の神輿を迎えるために、それぞれの提灯を立て行列を整えて巡行する行事です。
祇園万灯会、祇園囃子、武者組、小町踊、鷺踊、しゃぐま、祇園祭音頭、馬長稚児と続きます。
【コース】
八坂神社清々館出発(16:30)→石段下→四条通西→河原町通北→市役所前(17:30-18:30舞踊奉納)→寺町通南→御旅所→四条通東→円山公園→石段下にて神輿洗いの神輿を迎える→東大路→神幸道東→八坂神社(20:30)→能舞台にて舞台奉納
この行列は、清少納言の『枕草子』の中にもすでに見られており、「心地よけなるもの」のひとつとして、「御霊会の馬の長」の記載があります。
『中右記』大治2年(1127)6月14日の条には、
「祇園御霊会。四方殿上人、馬長、童、巫女、植女、田楽各数百人。此の外祇園園所司、僧、随身数十人の兵供奉す。舞人十人、使は唐鞍に乗る。」
とあり、当時より豪華な行列だったと思われます。
馬長は当初朝廷より調進され、 蔵人所が所属の小舎人童などから人選していたようです。
行列が出発したのち、神輿は蔵から舞殿に鎮座されます。
そして豪華に飾り付けられます。
やがて境内で松明に火が灯されます。神輿三基のうち二基は舞殿に据えられ、一基(中御座)の前後を松明で照らしながら、四条大橋まで行き、神輿を清める儀式を行います。一説には、鴨川の神様を神輿にお迎えするともいわれています。
『八坂神社』の本によると、
『百練抄』に、承安二年(1172)後白河院が神輿三基と、獅子頭七頭を寄進したとあります。またこの頃の記録に、
「京師祇園会六月七日に迎神、十四日送神」 『芸苑日渉』
もちろんこの6月7日、14日は旧暦になります。
実はちょっとあることを小耳にはさみました。
神輿洗いの時に松明を使うのは、もともと旧暦の5月末で新月だったから、真っ暗で明かりが必要だったため。そして神幸祭は半月、還幸祭は満月の前日で明るかったから松明は必要なかったと。
なるほどなーと納得したのですが、なんでも検証しないと気が済まない(笑)
で、調べました。
ちなみに、新月から1日と数えます。
そうなると7日が半月、14日が満月の前日になります。
川島將生氏の『祇園祭』によると、江戸時代に入ってから新しい催しが加わり、神輿洗いもそのひとつで、5月晦日に加わったとあります。
さらに調べます。今は便利な変換があってよいですね。
大治2年(1127)5月29日→新暦で7月17日 新月の前日
※この年は29日までしかなかった
大治2年(1127)6月7日→新暦で7月24日 上弦
大治2年(1127)6月14日→新暦で7月31日 満月の前日
微妙にずれているけど、近いことは近いですね。
では、応仁の乱後にいったん途絶えて、明応9年(1500)に再興したので、この時代はどうだろう?
明応9年(1500)6月7日→新暦で7月3日 上弦
明応9年(1500)6月14日→新暦で7月10日 満月の前日
これだと全然合わないので、やはり前者でしょうね。
もともとは神幸祭と神輿洗いは同じ日に行われていたけど、のちに復活した時とかに、神輿洗いだけ10日に分かれたのかもしれませんね。
上記写真はすべて2010年撮影。
2010年の様子はこちらをどうぞ。
あまり詳しくない時に見ているので、内容についてはご了承ください^^;
また見に行かないとダメだなw