京都散歩道

数年前、某SNSで活動していた「京都散歩道」。このたびブログにて復活しました。京都をいろいろ巡っていますので、少しずつご紹介していけたらと思います。最近は平安京巡りにはまり中。過去のデータを移行したら、写真が一部見れないので、また修正します!まとめサイト等、他サイトへの文章・写真の転載はお断りします。

禁裏道場蹟、後土御門天皇後宮 贈皇太后朝子 般舟院陵

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首途八幡宮から、今出川通りをまっすぐ西に行くと、見えてきます。

地図で見ていてなんだろうなーと思っていたので見に行ってきました。

思っていたより大きな碑でびっくり。

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後土御門天皇(1442~1500)が幼少期に住んでいた伏見殿に、仏閣を建立して勅願寺とした天台宗・般舟三昧院というのがありました。

天台・真言・律・禅の四宗兼学の道場に擬されたため禁裏道場と呼ばれたそうな。

文禄4(1595)年、豊臣秀吉(1536~98)の伏見城造営に伴って、この地に移されました。

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後土御門天皇後宮 贈皇太后朝子 般舟院陵

こちらも伏見城造営で一緒に移されたものですね。

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後花園天皇分骨所

後花園天皇後宮 嘉楽門院藤原信子墓

後土御門天皇分骨所

後奈良天皇分骨所

後土御門天皇皇子 尊傳親王
後柏原天皇後宮 豊楽門院藤原藤子墓

後水尾天皇皇子 高仁親王
後水尾天皇皇女 菊宮墓

光明天皇皇女 孝子内親王
後西天皇皇女 女二宮墓

櫻町天皇皇女 盛子内親王
光格天皇皇子 禮仁親王

光格天皇皇女 壽賀宮墓

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この中に式子内親王塚というのもあるそうな。

確かに左右通れそうだなとは思ったのですが、なんとなく奥に入りづらくてやめちゃったんですよね。

またいつかリベンジしたいと思います。

 

 

首途八幡宮(かどではちまんぐう)

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義経ゆかりの地として、ずっと行きたいと思っていたこちらに、

ようやく行ってきました。

怖そうな漢字ですが、かどでと読みます。

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祭神:応神天皇、比咩大神、神功皇后

「王朝華やかなり頃、桃園親王の旧跡として知られ、境内地も広く池あり築山あり桃の木多く花爛漫と咲き、稚児舞の奉納などあり、その情景は絵巻物の感あり。諸人の崇敬厚く神験も広く及び古来神威盛んな神社として神徳をたたえられている。

高倉天皇承安4年(1174)3月3日、源九郎義経征途の首途にあたり鞍馬山から当社に参拝し、旅の安全と武勇の上達を願い宇佐八幡宮の神霊を勧請鎮められたのを創始として首途八幡宮と称する」

 

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 「宇佐神宮大分県宇佐市)から八幡大神を勧請したのが始まりと伝えられ、誉田別尊(ほんだわけのみこと/応神天皇)、比咩大神、息長帯姫命(おさながたちしひめのみこと/神功皇后)を祭神とする。

もとの名を内野八幡宮(うちのはちまんぐう)といい、平安京大内裏(皇居や官庁があった場所)の北東に位置したため、王城鎮護の神とされた。

かつてこの地には奥州(東北地方)で算出される金を京で商うことを生業としていた金売吉次の屋敷があったと伝えられ、源義経(牛若丸)は奥州平泉に赴く際に、吉次の助けを得て、ここで道中の安全を祈願して出発したといわれている。首途(かどで)とは出発を意味し、この由緒により首途八幡宮と呼ばれるようになった。このことから特に旅立ち、旅行安全の神として信仰を集めている。」

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鳥居をくぐると・・

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奇妙に二つ鳥居がありました。

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八の字は鳩になっていますね。

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階段を上がっていくと、このような本殿がありました。

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赤い鳥居の方は弁財天です。

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日文研「花洛往古圖 : 京の水」より

内容は平安時代の地図ですが、成立年代が1791年なので・・

なんだかおかしな地図になっていますね。

「桃園」と記載ありつつ、すでに「義経誕生所」まで書いてある!

書かれているってことは、すでに名を残していることなので。

 

ちなみに、桃園天皇は、1741-1762年。

天皇」は、崩御されてから贈られる称号で、崩御された場所やゆかりの地がつけられます。つまり桃園天皇崩御される前から桃園という地名はあったということですね。

今は桃園とは言わないけど、平安時代は言われていたのかな・・?

 

ところで、金売吉次が実在したかは、実際はわからないようですね。

でも、鞍馬寺を出て、生まれ育ったところを懐かしみつつ、このあたりを立ち寄り、蹴上から山科を通っていくのは、道筋としては合っているとは思いますね。

 

義経関連リンクはこちら。他、キーワード検索でもどうぞ。

kyotomichi.hatenablog.com

 

kyotomichi.hatenablog.com

 

 

kyotomichi.hatenablog.com

長徳寺の桜

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出町柳駅の近くに長徳寺はあります。

桜がきれいだということで見に行ってきました。

穴場かな・・と思っていたのですが、意外と人が来ます。

間を縫って撮影しました。

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中には入れませんが・・

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生柳弁財というのが見えました。

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そこには布袋様がw

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少しわかりにくいですが、窓ガラスに映る桜も素敵ですね。

 

黒い"気"の記録 2019

 

 最近見ていないなーと思って記録を辿ると…本当にちょうど一年前で、同じことを書いてることに、ゾッとした…。

盛り塩、効果は一年なのは間違いない。

また入れ替えておかなければ。

 

ということで、一応今年もつけてみることにします。

 

2019.2.28

今日は久々にきつかった。

感じるのは暴風。

夢も覚えていたので書いておく。

自転車を置いて歩いていた。最初は百貨店の地下食品売り場。閉店前で安くなっている。

肉屋の前を通り、ケーキ屋もあったか…。

そして場所は飛んで、和菓子屋さんの前。自転車を取りに行ってから夜ご飯代わりに買いに来ようと思っていたのに、店のおばあさんが今度展示会?かなんかするから、そのための練習?かで、無料でいいから食べていきなさいと店内へ。(これはたまたま北野天満宮の粟餅のことを考えていたからでしょう) 似たようなお餅が出てきて、どちらにしても食べるつもりだったから良いかと食べて、お金は払いますからというと、そう?といって受け取りました。店を出るともう閉店で閉めてた。

で、また場所飛んで、どこかの部屋に寝ていると、左から(多分北)誰かが入ってくる気配がある。強い暴風の黒い影。私はうつ伏せになっていて、なんとか逃げようとするも動かない。声を出そうにも全くでない。夢の中では恐怖心を感じていた。それでまたこれかと思って、南無阿弥陀仏を心で唱えるも全く効果なく、これではダメだと何か違うものを唱えてたけど、これは忘れた。とにかく動けないところにまとわりついてくる黒い風を、拒否するし続けて、15-20秒くらいしてようやく風が収まった。

その間にもう一つ夢?が重なった。どこかの◯島(忘れた)の名前と地図が出てきて、遠くで男性2人がこの◯島と◎島はとなりじゃなかったか?とか、20代の女性が林の中?で首吊り自殺をしてその映像、どうもその男性2人、同じく20代くらいが関係していて、捕まったのか、パトカーと警察が駆けつけてくる。

黒い気の正体はどうやらその女性のようでした。過去見た夢の中で、初めての展開!

なんなんだろう…。

夢が交差するのも初めてかもしれない。

起きたら1時42分。

とにかく全身動かなかったから疲れました…。

 

 

2019.3.3

夢ではないけれど記録。

この日、法住寺、養源院へいきました。

この養源院の空気…凄いヤバい。

特にどの部屋からも、東北から冷たい空気があり、私の左膝、顔左半分だけ冷凍庫に突っ込んでいるような感じがありました。

そして、座ってるだけで頭がぐらんぐらんと目眩というか、頭が揺れてた…。

 

この後、3日間頭痛に悩まされる。

普段頭痛もちでないだけに、これには参った。

薬飲んでもほとんど効かなくて、3日目、別の薬に変えて、3時間ほど寝て、ようやく楽になった。

 

 

2019.3.27

夢の中で展示を見ていた。会場は町屋の一軒家のようなところで、見忘れたところがあったので、ぐるっと回ろうとして襖を開けたらスタッフの休憩していた畳の部屋で、そこを抜けて、台所を抜けて入り口へ。

見忘れたところは奇妙というか気味悪くもあった。草木が周りにあって、そこにハロウィンのような感じで、テーブルにはよく見たら人ではない頭巾を被った生き物がいたりした。スタッフが近づいてきたので、中庭みたいなところにテーブルと椅子があって、そこに荷物を置き写真を撮ろうとする。その後ろに何か木のようなものが回転していて、頭すれすれを通るなど不気味だった。とにかく周りにも変わった生き物がいたが覚えていない。

 

そのままなぜかそこは自分の部屋になった。現実とは違う。庭みたいに下は土で周りに草木、そこに棚があった。何か黒い気がまとわりついて動けなくなった。その棚から塩を取り出そうとするが、場所を変えたので見つからない。現実でも塩の場所を変えたばかり。一番下の引き出しを外し、中のものを出す。小さな木がそこにもあって、葉に幼虫がいたので、ティッシュが見つからなかったから別の木から葉をちぎりそれで潰してゴミ箱へ。2番目、1番目の引き出しも見るが見つからない。なぜー?と焦る。身動きは取れず、その力強さを振り切りながら探す。伸ばした右手の周りになにやら空気がまとわりついているのがわかった。

その横で父が勝手に引き出しを開けてこれはいらんやろうとクリスマスの飾りをすてようとするんで、これは私がディスプレイで使ってるもの!勝手に捨てないで!と怒鳴っていた。

 

そこでようやく目が覚めて、動けるようになり、改めて塩を引き出しから手探りで探すも見つからないので、明かりをつけてようやく見つけました。取り出して、体に振りかけました。時計は3時20分前くらい。寝たのが2時だったから、ずれたかな。

場所を変えると、夢でも焦るのね…💦

(盛り塩の場所ではなく、予備塩の場所)

いやー、いつにも増して金縛りの時間が長くて疲れました。

 

 

2019.04.04

 

おかしいな、今年は多いな。

なんだか続いてる。

何人かで旅行に来ていて(多分海近くのイメージ)、旅館に帰ってきて、「じゃまた明日ね、おやすみー!」と、みんなと別れて私も部屋に帰って(一人部屋)うつ伏せ(普段うつ伏せで寝ることはほぼない)に寝てると、夢の中で(夢の中で夢を見ている…なんとも変な感じ)、自分の体をすごい風が下から上へ抜けていき、それからまた戻ってきて、渦巻きを描くような感じで何度もくるんで、それから逃げようとするも動かず、「南無阿弥陀仏」と唱えようもしても「なん…」と声が出なくて詰まって言えない。そこで今度は「臨兵闘者皆陣列在前」と声にしようとしたけど、やはり声も出ないので、3回ほど心で唱えると、風の力が弱まったから、これはいけると思い、あと5回ほど唱えたら、体が動いた。

そこで目が覚めて、起きたら1時過ぎでした。

今日のは嫌な感じではなくて、右足だけ持ち上げられたり、遊ばれてるなーと夢の中でも思ってた。

夢の中で冷静に考えて行動しているのが、どうも不思議で仕方ない。

 

 

2019.6.21

夢の中で車の後ろで寝ていた。運転手は男性、中央の席には年下のイケメンの男性。鈴木伸之(あとで顔を思い出しながら調べた。名前までは覚えてなかった)に似ている。会社か何かのツアー旅行で来て3日目。「また参加者減った?」と聞くとイケメンが振り返り、「はい、減りましたね」「せっかく旅行に来たのに、みんなホテルで残り?もったいないよね」なんて話をしていると、イケメンが危ない!というように私をかばうようにして左耳にボソボソと何か言うが、何を言っているかわからない。そのうち前から黒い暴風が来て、身動きがとれなかなった。またかーと思いつつ、とっさにまた両手を交差して「臨兵闘者皆陣烈在前」と数回唱えたら、金縛りは解けた。起きたら1時46分。夢の中で寝ていたから、気は東から来ていた。

寝る前に、小説ネタを考えていて、源義仲のことを考えていたからだろうか。なぜ頼朝と敵対したのかわからなくて。もしかしたら騙されて殺されたんじゃないかとか考えてたから?その真相を知られたくなくて脅しているように思えて仕方ない。

 もしくは、昨日河原町仏光寺あたりまで行ってから、ずっと負のオーラを感じていたので、何か連れてきたのかもしれない。

 

 それにしても気から誰かが守ろうとしてくれたのは初めてですね。

 

2019.6.27

今年は多いな…。今日は寝ている間に3回。

1回目。家で寝ている。ただし自分の部屋ではなく隣の部屋。向きは同じなので東側に頭。そこへものすごい力で抑えられ、母が南側から無理やり入ってこようとする。断固として拒否。中に入られないように力を入れてたら、なんとか金縛りは解けた。そこで一旦は目が覚めた、というか意識は起きたが、またすぐに寝る。

2回目。同じ部屋。今度は黒い風が体を巻き込む。食いしばってたら「うーっ!」と叫んでいて(本当に叫んだかは不明)、それを聞いた後輩(なぜか家にいる)が、私の肩を叩いて起こして?金縛りは解けた。それを見て後輩はリビングの方へ戻る。

3回目。同じ部屋。さらに強い黒い風が体を押さえつける。今度も「うーっ」と踏ん張りつつ耐える。そしたら金縛りが解けた。起きると部屋のすぐ北側にソファがあって、そこに父が座り新聞を読んでいた。(実際はそこに部屋もソファもない)。

で、ようやく本当に目が覚めて1時28分。

さすがに夢の中で何度も寝て起きて繰り返すと怖い。

寝る前に、頼政崇徳天皇、義仲、義経の話を読んでいたからだろうか。

このうち2人は怨霊とも言われているが、私はそうは思っていなくて。

それを調べたくて調べてるので、警告にも思えてしまう。

 

 

2019.10.3

今日は夜中も起きられないほどだった。全く体が動かず南無阿弥陀仏を唱えるもダメでした。ほとんど記憶にないが、黒い気というより、女の子を見た覚えがある。

多分椅子?に座っていた。2-3m離れたところで私は見ていた。

 

 

2019.10.23

今日は黒い気ではなかった。

夢の中で大きな部屋で寝ていたら、近くにいた人が何かに驚いて立ち上がって部屋の隅に逃げた。何かと思ったら、布団の右側にこぶし大くらいある大きな蜘蛛が!しかもピンク!慌てたが私の右手を、その蜘蛛がガシッと足でつかんだ。噛まれたとかはわからないが、なにやら痺れを感じて、誰かのところに急いで行ってみてもらった。

どうやら毒蜘蛛で危険なようなことを言われて目が覚めた。

起きた時(8時前でびっくり)、両手をガシッと指を交差して組んでいたので、余計固まって動かなかったのだと思う。

 

 

義仲寺(ぎちゅうじ) in滋賀

 

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ずっと行きたいと思っていた義仲寺へようやく行ってきました。

膳所駅から15分ほど歩いたところにあります。

私の祖母の家系の御先祖様に義仲の名があって。

嘘やろーとは思っていますがw

歴史を読んでいると、義仲は自分勝手、裏切者・・というイメージがあって、どうしても好きになれない。行くことで親しみもてないかなーという思いもありました。

 

写真がなぜか全部ぼやけてしまっています・・。

閉まる間際に行って、急いで撮りながら回ったからかもしれません。

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義仲は、1180年に兵士討伐の挙兵をし、1183年5月北陸路に兵士の大軍を打ち破り、7月に京都入りしました。翌年1月、源頼朝の命を受けて都に上ってきた源範頼義経の軍勢と戦い、この地で討死しました。享年31年。

 

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 「義仲寺の名は、源義仲を葬った塚のあるところからきていますが、室町時代末に、佐々木六角氏が建立したとの伝えがあります。

門を入ると左奥に、俳聖松尾場所の墓と並んで、木曽義仲の供養塔が立っています。

木曽殿と背中合わせの寒さかな、

という著名な句は、芭蕉の門人又玄の作です。

境内にはこの句をはじめ、芭蕉の辞世の句、

旅に病んで夢は枯野をかけめぐる 

など多くの句碑があります。

また巴御前を弔うために祭ったといわれる巴地蔵堂もあります。

昭和42(1967)年11月に国指定の史跡となりました。」

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 巴地蔵堂

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折れ曲がりが気になりますね。

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翁堂

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伊藤若冲筆 四季花卉(かき)の図

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芭蕉翁坐像

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三十六俳人の画像

安政3年に類焼し、明治21年に穂積永機が類焼したものに似た画像を製作し奉納したのだそう)

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木曽八幡社

義仲寺の鎮守として、古図にもあるそうな。

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芭蕉翁墓

芭蕉は、義仲に深い思い入れがあったようで、この地に何度も来訪し、遺言に「骸は木曽塚に送るべし」とも残すほど。

それでここにあるわけなのですね。

なぜそこまで義仲に思い入れがあったのか・・もっと義仲を知ったらわかるかもしれませんね。

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 朝日将軍木曽源公遺跡之碑

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木曽義仲公墓

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巴塚

木曽義仲の愛妻巴は、義仲と共に討死の覚悟で此処粟津野に来たが、義仲が強いての言葉に最後の戦を行い、敵将恩田八郎を打ち取り、涙ながらに落ち延びた後、鎌倉幕府に捕えられた。和田義盛の妻となり義盛戦死の後は尼僧となり各地をまわり当地に暫く止まり、

亡き義仲の菩提を弔っていたという、それより何処ともなく立ち去り、信州木曽で90歳の生涯を閉じたと云う。」

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古池や 蛙飛びこむ水の音 芭蕉

有名な句ですね。

 

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行春をあうみの人とおしみける  芭蕉桃青

芭蕉の真筆句碑

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 山吹供養塚

「山吹は義仲の妻とも妾とも言う。病身のため、京に在ったが義仲に逢わんと大津まで来て、義仲戦死の報せを聞き、悲観のあまり自害したともとらわれたとも言われ、その供養塚である。元大津駅前に塚が在り、改築のためこの地に移されたものである」