京都散歩道

数年前、某SNSで活動していた「京都散歩道」。このたびブログにて復活しました。京都をいろいろ巡っていますので、少しずつご紹介していけたらと思います。最近は平安京巡りにはまり中。過去のデータを移行したら、写真が一部見れないので、また修正します!まとめサイト等、他サイトへの文章・写真の転載はお断りします。

自分のルーツを辿る33 愛媛旅行29 鷹ノ子のホテルとカフェ

今回の旅行では鷹ノ子に宿泊しました。

一つ目は、前の時にも泊まりたいと思っていた「そらと森」

おじさんが鷹ノ子へ来るといつもここに泊まると言ってたけど・・高い!

でもまぁ一度くらいは、ねぇ。

部屋に温泉がついてるなんて贅沢してみたいじゃないですかw

ロビーを抜けて、お部屋まではちょっと薄暗い・・。

そしてお部屋に入ると、

ひろっ!

ソファの向こうが温泉になっています。

すごーい!

いつでもすぐ入れるっていいですね。

レストラン

夜ご飯は予約していたのですが、なぜか洋風。

今はこういうのが受けるんでしょうか。

選べたらいいのに。

 

 

味は普通かな・・

ホテル探検。

くつろげるスペースとか、リクライニングチェアでテレビとか見れるようなところもありました。1日ゆっくりできる感じですね。

こういうコーヒーメーカー使ったことなかったので、興味津々で入れて見ましたw

別の味も飲んでみたかったけど、コーヒーあまり量が飲めなくて1種だけ。

本格的な感じですね。

朝食は和食でとってもよかったです。

2日目はたかのこホテル。

前は温泉だけだったから。

晩御飯はバイキングです。

ホテルにバイクが飾ってあったりしました。

そらと森と比べたらダメですね(笑)

あっちを2日目にしたかったけど、確か取れなかったからだと思います。

連れて行ってもらったカフェ。

 

ステンドグラスがかわいい感じですね。

紅茶をいただきました。

自分のルーツを辿る32 愛媛旅行28 湯築城跡

さて、愛媛旅行も最後になります。

最後の締めくくりは、湯築城跡です。

前回、上に上がれなかったので、今回こそ上がりたかったのです。

大手門

結構綺麗に整備されていますね。

思っていたより広いです。

私も前に調べていて見ていた地図がありました。

右下に「戒能筋」とあります。

kyotomichi.hatenablog.com

 

湯築城については、こちらをどうぞ

kyotomichi.hatenablog.com

kyotomichi.hatenablog.com

この辺りは昔のままなのでしょうか。

かつで河野や戒能たちがここを歩いていたかと思うと感慨深いですね。

さらに上がっていくと見晴らし台があります。

思っていたより高くて、一望できます。

360度見えるので、攻めてこられたりしてもすぐ見渡せますね。

別の道から降りていきます。

湯築城

 

自分のルーツを辿る31 愛媛旅行27 久米郡 軍ケ森神社

これは単に名前が気になったのと、鷹ノ子の近くでもあったので一応・・。

ちなみにいくさがもりと読むそうです。

石清水八幡宮を勧請し、正平年間(1346ー1370)に戦死者をこの森に埋めたことから来ているんだとか。

由緒はこちら

ehime-jinjacho.jp

彫刻が綺麗ですね

明治42年

伊予松山城東に久米郡鷹ノ子村があった。今は温泉郡久米村鷹ノ子村の一部落になったと読めるので、元々は鷹ノ子村だったのかな。

 

自分のルーツを辿る30 愛媛旅行26 久米郡 宇氣洲神社

続いて宇氣洲神社へ。こちらも三島神社を祀っています。

 

東温市田窪 1585 番地
祭神 三島神、大山衹命、雷神、高龗神、十六皇子神

海稲八幡神、譽田別神、息長足帯中日子神
由緒 当社は、以前三島神社と海稲八幡神社と二社別所に鎮座していた。三島神社は、聖 武天皇の御宇神亀 5 年(728)、伊予国
越智玉純大三島より勧請したところで、伊予八 十三郷の一宮といった。其の後治承 2 年(1178)国主河野通清尊敬に依り社領を寄附し神 宮司香積寺を置く。元久(1204~1206)の頃、荏原城主平岡氏と志津川の城主和田氏との 戦で社殿が破壊された。其頃、河野親太夫親孝の二男高井太夫兼孝の六男田窪七郎孝村、 同太郎孝通の居所で、河野殿の上屋形堀内殿の趾蹟があったので、閏七月浮洲本郷一宮と して社殿を再築し、水田数町を寄附された。元徳 2 年(1330)越智通孝、社殿を興し自ら 社職となって奉仕した。嘉吉三年(1443)、左近衛少將河野通光は社殿を再􏰀し、水田数町 を献じた。 海稲八幡神社は、御三条天皇の御宇延久二年(1070)源頼義が創始した所で、河野高井浮穴田窊白石田井等の諸豪族が深く尊崇していた。嘉永 2 年(1849)3 月 14 日三島神社と海稲八幡神社とを現在の地に合祀し、三島神社海稲八幡宮神社と称したが、大正 2 年(1913) に宇氣洲神社と改称した。今の本殿は明治 11 年 1 月 1 日の改築である。

 


金比羅

神の降臨地?

大正8年

ここの狛犬も玉乗りですね。

河野家の家紋ですね。

大正6年

昭和54年、歴代の宮司の名前が刻まれていました。

田窪出身従軍者

変わった石灯籠ですね

河野家の家紋入りお賽銭箱。

網がかかっていてよくわかりません。

でも保護のために大事ですよね。

安政2年

これ、築島神社で見た絵と同じタッチですね。

高須賀さんの名前がずらり。

こういう扁額がいいですね。右の絵は大正3年

石灯籠が迫力でした。これが特に大きかったです。

境外にもありました。

 

 

自分のルーツを辿る29 愛媛旅行25 牛渕 浮島神社

ここに行こうと思ったのは、前に書いた浮島神社で興味があったからです。

高須賀のゆかりということですね。

kyotomichi.hatenablog.com

 

浮島神社は、浮島神(弥生時代からの祭神)と三島神をお祀りしています。

伊予の豪族越智益躬が三島神を合祀して氏神と仰いだそうです。

由来の詳細はこちらをどうぞ。

ehime-jinjacho.jp

道路に面しているので、まっすぐ撮るのが難しいです。

昭和12年でした。

昭和41 年

磐座!何を隠そう、磐座が一番好きなのです。

スマホの待ち受けは、ずっと京都の元出雲大社の磐座です(笑)

ウマシアシカビヒコジノミコト?あまり聞き慣れない名前ですね。

柱の間からチラッと。
こういう磐座なのか・・。(ちょっと思ったのと違った)

河野家の家紋です。

比較的新しいですが、豪華ですね!

本殿の中・・めっちゃいい!

浮島神社と書かれている木も良い感じですね。

 

絵は新しかった・・昭和7年かー。

神社の由緒が書いてありますね。

 

こんなところに駕籠!!

日露戦役戦勝記念碑



ここの狛犬は玉乗りですね。嘉永2年とあります。

玉垣もズラーっとあります。

全部撮りましたが、比較的新しかったので一部だけアップしますね。

八木、戒能、高須賀がずらり。

代官所があったのでしょうか。

鳥居が気になったので、行ってみました。

めっちゃ遠い・・

でもこっちから通れなさそうでした。

嘉永2年

わかります?この距離・・

変わった瓦ですね、鶴?

南参道

川の向こうに見える社がが気になりました。

あとで調べたら、王佐屋敷というものみたい?

物部氏の太祖宇麻志麻治命(うましまぢのみこと)が降臨された浄地だとか。

 

思ったより広かったです。