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京都散歩道

数年前、某SNSで活動していた「京都散歩道」。このたびブログにて復活しました。京都をいろいろ巡っていますので、少しずつご紹介していけたらと思います。最近は平安京巡りにはまり中。過去のデータを移行したら、写真が一部見れないので、また修正します!まとめサイト等、他サイトへの文章・写真の転載はお断りします。

流鏑馬神事

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<撮影:2007.5.3>

場所:賀茂御祖神社下鴨神社

日時 : 5月3日 ・ 午後1時

京都市下鴨神社では5月3日賀茂祭(葵祭り)の前儀として、

流鏑馬馬場において流鏑馬が執行されます。

公家の装束(束帯)を着用しての流鏑馬で、他には見られないものです。

流鏑馬は「やぶさめ」、あるいは「やぼさめ」と読みます。「矢伏射馬」とも書きます。

『貞丈雅記』に「やぶせむまの略語なり」とあるように、馬を走らせながら鏑矢(かぶらや)を射ることです。

下鴨神社では、流鏑馬とは云わずに「騎射」(きしゃ)と明治初年まで呼んでいました。この騎射が、いわゆる流鏑馬の原形です。その騎射の歴史は『日本書紀』、雄略天皇即位の年(457)に「騁射」(うまゆみ)を行ったとあります。また天武天皇9年(682)、「長柄宮にて馬的射」ともあり、これもまた流鏑馬のことですから、古くから行われていたのがわかります。

『続日本記』には「文武天皇二年(698年)賀茂祭の日に民衆を集めて騎射を禁ず」とあり、

葵祭の日の騎射に大勢の見物人が集まるために三度も禁止令が出るほど有名になっていましたから、古くから行われていたことがうかがわれます。

文亀2年(1502)、葵祭の路頭の儀が中絶したことによって騎射もまた中絶しました。神事は中断しましたが、武家は各地で流鏑馬として盛んに行うようになり、さまざまな流儀や作法が派生しました。元禄7年(1694)、葵祭が再興された時、騎射も伝統の作法により再興されました。ところが明治2年(1869)東京遷都祈願行幸の時に行われた後、再び中断するにいたりました。

 去る昭和48年、下鴨神社式年遷宮の記念行事として、名称を流鏑馬神事と改め、100数年ぶりに復活しました。 <パンフレットより抜粋>

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13時からとありますが、その時間から神事が執り行われるので、

すぐ馬が走って、弓を射つというものではありません。

私が行った時も、朝10時半から待機・・

14時ごろにようやく、人や馬の行列がやってきました。

すぐ打つのかと思ったらとんでもない。

まずその行列は、北から南へぞろぞろ・・。

それでまた南から北へぞろぞろ・・。

で、中央で何やら行事を行なって、

北から南へぞろぞろ・・でやっとです。

5人のグループが3回射っていきます。

馬のスピードにもよるので、失敗も結構ありましたが、

見事目の前で的が射抜かれたときは、その迫力に思わず歓声があがってました。

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15時半くらいに終わり、本殿へ参拝へ。

そしたらさっきの騎手たちがぞろぞろと歩いてきました。

結局またその場で待機となりました(笑)

馬に乗るときに揚げていた裾をこの入り口で出してもらって、

引きずるようにして中へ入っていきました。

武家より公家の衣装が本当に素敵。

とくにグリーンのが色が鮮やかでかっこよかったです。

いい場所で見ようと思えば、早くいって場所取りしないといけないので、

とても根気がいりますが、ぜひ一度は見てみてください!