ようやく玉林院に到着。
慶長8年(1603)、医者・曲直瀬正琳(まなせしょうりん)が、曲直瀬家初代・道三(正盛)を供養するために、大徳寺142世・月岑宗印(げっしんそういん)を開基として建立した大徳寺の塔頭寺院。
当初は、開祖の名から正琳院と称しました。1609年に焼失しています。
「賤ヶ岳(しずがたけ)の七本槍」の一人・片桐且元(かたぎりかつもと)や、豪商・鴻池了瑛(こうのいけりょうえい)らの尽力で再興されたお寺です。
1621年に玉林院に改めました。正琳院の「琳」の字を、「玉」と「林」に分けて玉林院と名づけられた。
こんな小さな入り口をくぐって、さらに歩いていくと。
お庭に大きな松がありました。
この屋根は、新しく変えたばかりで、
今一番きれいな桧皮葺の屋根だそう。
瓦もお庭に。
紋がおもしろかったので撮ってみましたw
この向かいに客殿(重文)があり、「山水図」「竹林七賢・四愛図(しあいず)」など狩野探幽とその一門による襖絵で飾られています。
客殿裏をぐるっとひとまわりしていくと。
ちょっとこじんまりした閑静な感じの茶室。
でも、今日のメインはこっち。
入り口から入って、奥が待合室。さらに右へ行くと・・
(一般客はここは入れませんので廊下から・・)
オオーw(*゜o゜*)w
なんだか不思議な屋根がっ。
南明庵(重文)は、江戸時代、1742年、大坂の豪商・鴻池了瑛により、鴻池の祖・山中鹿介の牌堂として建てられたもので、鴻池家の祖にあたる武将・山中鹿之助の位牌を祀っています。
こけら葺、庇屋根はローソク桟瓦葺という珍しいつくりとなっています。
また床はなんと楽焼!なんという贅沢。もったいない・・(笑)
左側には「すさ壁」をめぐらせた茶室「蓑庵(さあん)」(重文)
右側には、床の間に富士山の絵をかけて違棚(ちがいだな)を霞に見立てる「霞床席(かすみどこせき)」(重文)の名席があります。
真ん中に橋みたいにありますが、普段はありません。
特別公開のために渡してあるものです^^;
中に入ると、その位牌の祀っているところの下に、貝が埋め込まれた絵が!
すごく細かくて芸術的です。キラキラ光ってとても煌びやか。
名残惜しく・・振り返る。
手前に井戸もありますね。
茶室は撮影禁止なので、この写真でどうぞw