さて、最後です。
天正11年(1583)千利休の師にあたる古渓宗(こけいそう)陳(ちん)和尚を開祖として、豊臣秀吉が建立した織田信長の菩提寺です。
総見院には三つの茶室があります。「寿安席」は八畳の広間があり、大正の初め頃の山口玄洞(1863-1937)の建立。近年の作では、表千家の即中斎好みの「香雲軒(こうせつけん)」。そして、茶室「龐庵(ほうあん)」の三つ。
禅道場は龍翔寺に移されたが、それまで大徳寺管長の住まいであったため隠寮と呼ばれていたという。また、豊臣秀吉が催した「大徳寺大茶会」は、ここ総見院であったとされているそうです。
本堂の織田信長坐像(重文)は、信長の一周忌法要に合わせて作られたもの。運慶・湛慶の流れを汲む仏師・康清(やすきよ)の作とされ、眼光鋭い表情に衣冠帯刀の姿が印象的。
中に入ると・・
なんだろなーと思っていたら、
茶道具を祀っているところなのだそうです。
この正面の建物で、説明がありました。
総見院は明治維新の時、旧建物を壊して禅僧の修禅道場として一時期は禅堂もあったとか。
その名残が柱に残っています。本来の入り口は違うところで、
そこに、布団をしまったり、荷物を納めたりする収納だながあったそうな。
当時、禅僧たちは寝ているときも修行を行なっており、布団に丸まって寝ていたとか。
その様子が柏餅ににていることから、柏布団ともいわれているのだそう。
長い廊下を歩いていくと・・。
途中で、案内のお姉さんが、「猫、猫っ!」と叫ぶのでびっくりしたw
たまにいるのだそう。
ちなみにこの向こう側が、千利休のお墓があるんですって!
茶室「寿安席」
襖に豊臣家の家紋「五七桐」が描かれてます。
ぶれてしまった・・。
茶室「龐庵」
先ほどの廊下。
「これ、なんだと思います?」と聞かれて・・「ん?」
天井に、よく見れば、輿(こし)があります。
この輿は、信長の葬儀の際に信長の木像を載せるために使われたもので、使われたのはその1度だけ。
その後どこにおいていいのか悩んだ末にこの廊下の上に飾ることにしたとのこと。
茶室「香雲軒」
NHKのお茶講座でも使われているのだそう。結構広いです。
外側も素敵ですね。
掘り抜き井戸
加藤清正が朝鮮から持ち帰った朝鮮石をくりぬいて井筒にしたもので、13mもあるんだとか・・。
秀吉遺愛の「胡蝶侘助椿(こちょうわびすけつばき)」。
樹齢400年と言われ、日本最古。枝に、紅白の花をつけるため、茶人の切り花に重用されたそうです。
信長の葬儀が執り行われた地であるので、境内には信長ほか一族の墓が並びます。
左から、秀雄(信雄嫡男)・信雄(信長二男)・信長公・信忠(信長嫡男)・秀勝(信長四男)・信高(信長七男)・信好(信長十男)