随心院にいったなら、やっぱりここも行かなければと行って来ましたw
真言宗山階派大本山。醍醐天皇の勅願寺。1470年(文明2)兵火で焼失したが、徳川氏と皇室の援助で復興。代々法親王が入寺、門跡寺院として格式を誇った。宸殿、書院(重文)は明正天皇の旧御殿を移築。国宝刺繍釈迦如来説法図(奈良国立博物館蔵)は勧修寺繍帳とも呼び、当寺に伝わったもの。庭園は、氷室(ひむろ)の池を中心とする池泉回遊式。書院前庭には水戸光圀寄進と伝える石灯籠があり、勧修寺型灯籠として知られる。
さざれ石とありました。とりあえず触ってみたw
辰殿。江戸時代初期の御所の建物だそう。
右は、はいびゃくしんという木で、なんと樹齢750年とか。
臥竜の老梅。江戸時代に、御所から移植された三代にわたる白梅。
水戸光圀公デザインの灯籠で、「京都へ来られたら、必ず見て、「通ろう」といったとか。
千年杉。京都庭園中最高の巨木だそう。
水鳥が止まると、狩野探幽の絵のようと書かれていました。
池の横に、
「この先行かれるのはご自由ですが、大いに危険」
と書いてある・・。
好奇心旺盛な私は、こういうことが書かれていると、つい入りたくなりますが・・。
やはり一人でもの寂しいところに行くのは不安でもあり・・断念しました^^;
人気も少なく、花とかもまだあまりなく・・。
もう少し華やかになれば入れるかなぁ??
佛光院。勧修寺のの塔頭があったと伝えられる由緒ある地に、大石順教尼(じゅんきょうに)によって再興建立された寺院。
順教尼は、もと大阪堀江の名妓で妻吉といったが、明治38年6月、中川万次郎6人斬り事件のまきぞえをうけて17才の身で両腕をきり落された。この不幸のどん底から数々の苦難をのりこえ、求道(きゅうどう)者として出家得度(とくど)し犠牲者の追善とともに身体障害者の救済に生涯をささげた。両手のないままに口に筆をくわえて書画を描き、非凡な才能を示し日展に入選、また日本人としてはじめて世界身体障害者芸術家協会の会員にも選ばれた。ここ佛光院にあって、順教尼は全国身体障害者の心の母と慕われてきた。
順教尼の写真も飾られていて・・なんだか切なくなりました。