京都散歩道

数年前、某SNSで活動していた「京都散歩道」。このたびブログにて復活しました。京都をいろいろ巡っていますので、少しずつご紹介していけたらと思います。最近は平安京巡りにはまり中。過去のデータを移行したら、写真が一部見れないので、また修正します!まとめサイト等、他サイトへの文章・写真の転載はお断りします。

大阪、天王寺散策

天王寺散策ツアーに参加してきました。

何しろ10人くらいで行動していたので、時間のない中、説明も聞きつつ、人が映らないようにさっさと撮影するのは至難の業・・。

ずれてたり、ぼけているのはご了承ください^^;

●コース
四天王寺夕陽丘→吉祥寺→大平寺→口縄坂→愛染堂→大江神社→愛染坂→清水坂清水寺→天神坂→安居神社

 

①吉祥寺 
忠臣蔵大内内蔵助の像と47人の義士の墓があります。
塀がその時の着物の柄で、赤い門が目立ちます。

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この石彫は平成14年に作られました。

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②大平寺 
十三まいりの寺。そして茶筅塚もあります。
寺だけど中に鳥居! これは神仏習合のなごりだそうです。

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③口縄坂
天王寺七坂のひとつ。織田作之助の小説にも書かれているそう。

小説の一文が石碑で書かれていました。

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④夕陽丘命名の地
その名の通り、かつては海が見え、夕日が沈む様子が美しかったそう。

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小松帯刀墓所跡、ともありますね。

案内板によると、

「この地に薩摩藩家老、小松帯刀清廉(こまつたてわききよかど)が埋葬されていた。幕末時、薩摩藩の重心だった小松は、薩長同盟大政奉還などを推進した。明治初年には参与として大阪にも在勤し、明治3年(1870)7月20日大阪で亡くなった。〈墓陵は天王寺村之内家隆塚有之夕日の岡ト申ス所、摂海見はらし至極眺望宜敷所ニ御座候〉と、薩摩藩士木場伝内が大久保一蔵(利通)に宛てた書簡に記している。大久保や五代友厚が小松の墓参りに夕日岡を訪れている。その後、明治9年(1876)鹿児島に改葬された。」

 

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右側には、伊達宗弘、陸奥宗光墓所跡ともあります。

案内板によると、

「伊達宗弘は紀州藩の重臣。鎌倉初期の歌人藤原家隆を敬愛し、この地に来て、自分も家隆卿の傍に眠らんと自在庵を建てた。また家隆卿の若にちなんで、当地を夕日岡と名付け、伊達・陸奥一族の墓地と定めた(略)

陸奥宗光は、天保15年(1844)、紀伊和歌山城下に生まれ、20歳ごろ勝海舟の弟子となり、神戸海軍塾で学ぶ。また坂本竜馬の知遇を得て、亀山社中海援隊にくわわり、龍馬の福官格として活躍した。(略)」

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家隆塚。この向こう側がかつては大阪湾だったそうです。


⑤愛染堂
縁結びで有名。多宝塔は大阪市最古の建造物で重要文化財
聖徳太子か建立、豊臣秀吉が再建。その形がおもしろい。
桂の木とかづらの木が交わっている。桂はハートの形の葉で、縁結びとなっている。

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これが多宝塔です。

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⑥大江神社、百歳の階段
芭蕉の句碑がある。虎の狛犬で、18年前星野監督がお参りし、阪神タイガースが優勝したことから、優勝祈願の場所になっている。メガホンが置かれている。

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夕陽岡の碑。この辺りからの夕焼けは今もきれいだそうです。

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実際は101段あり、人生の区切り100歳よりあともう一歩、

心も身体も健康でありますようにと名付けられたそうです。


⑦愛染坂、清水坂、天神坂
天王寺七坂のひとつ

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愛染坂。坂の下り口にある愛染堂勝鬘院から名付けられた。

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清水坂。新清水清光院に登る坂道。

この付近一帯は、昔から名泉どころとして知られ、増井、逢坂、玉出、安居、土佐、金竜、亀井の清水は七名泉と呼ばれています。

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天神坂。安居天神へ通ずる坂道なので、こう呼ばれています。

 
清水寺
京都の清水寺を模倣して作られ、1/30の大きさだそう。

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入っていないので、外からだけ。


⑨安居神社
梅の紋。真田幸村の像、戦死跡の碑がある。

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