住所:中京区室町通四条上ル菊水鉾町
鉾名は、町内の菊水井戸にちなんで付けられました。
「中世、室町時代、当地に夷を祀る社があり、社殿の隅に名水「菊水の井」がありました。茶道の始祖千利休が師事した、茶人の先覚者武野紹鴎は、この井をこよなく愛し、此処に庵を結び茶亭を大黒庵と称しました。菊水の井と呼ばれる所以は、能楽「菊慈童」から着想。「菊の葉より滴る露を飲み長寿を得た」という中国の古事に起因します。このビル建設に当たり、跡地に旧井戸より発見された「菊水」の文字入りの井桁組み石等を利用して建立しました。」
とあります。
元治元年(1864)の大火で消失しましたが、昭和27年に再興されました。
鉾頭には16弁の金色の菊花をつけています。
天王台、真木(しんぎ)、榊、紙垂(しで)
真木「しんぎ」の天王台と天王人形。
さらにズームすると・・こんなお顔立ちをしていました。
軒下に睡蓮をかけています。これは、他の鉾には見られません。
唐破風屋根のすぐ下には、海老名峰彰作の鳳凰が煌びやかに舞っています。
(2013年撮影)
菊水鉾は七福神をテーマに、順に新調されています。
2013年に新調された前掛け「大黒天」
胴掛け「毘沙門天と弁天様」 2015年新調。
後掛 「波上の布袋」 2016度新調
(2014年撮影)
胴掛け「福禄寿と寿老人」 2014年新調
(2013年撮影)
胴掛け 皆川月華「獅子図」
(2013年撮影)
胴掛け 皆川月華「麒麟図」
(2018年撮影)
胴掛け 皆川月華「飛鶴図」
(2013年撮影)
天井図 下から望遠で撮影しました。
(2014年7月17日巡行)
(2014年7月17日巡行)
(2014年7月17日巡行)
唯一、唐破風屋根です。
(2014年7月17日巡行)
見送りは、皆川月華の「孔雀花草図」で、2羽の孔雀が描かれています。
(2013年撮影)
荷茶屋(にないちゃや)
荷茶屋は、てんびん棒で担ぐ二つの箱の中に風炉釜や水差し、茶わん、茶筅などを入れた可動式茶屋で、山鉾巡行の際に同行し、辻回しなどの時間待ちお茶を飲まれていました。お茶を飲むことができるのは、裃を着た町の役人のみで、鉾の引き手は飲むことはできません。
江戸時代の絵図にも見られ、複数の山鉾の後に続いていましたが、昭和30年代に冷たい飲み物が普及し、巡行時間が短縮されたこともあって、姿を消してしまいました。
菊水鉾の荷茶屋は、他の山鉾に先駆けて復元され、冷たいお抹茶を配られています。(友達がこの荷茶屋をしているので、聞きました)
ほかに、芦刈山、太子山で見られます。
菊水鉾では、宵山の間、表千家、裏千家、遠州流のお茶席を日替わりで楽しむことができます。毎年お皿のデザインが変わり、持ち帰ることができます。私も毎年集めています。
この日は裏千家、初日。
この鉾の水さしは、裏千家の初日のみ見ることができます。
祇園祭用に特注で作られたそうです。
かっこいいですよね。
亀廣永(かめひろなが)のしたたりとお抹茶。
菊水鉾の茶席で使われるお菓子として知られています。
夏の冷菓、金玉糖(きんぎょくとう)を参考にしたもので、
寒天に粗目(ざらめ)、水飴(みずあめ)のほか、黒砂糖を加えて煮詰め、
棹に流して固めたお菓子です。
銘は鉾の伝説で、菊からしたたるつゆを飲み長寿を保ったといわれる菊慈童にちなんでいます。
(2014年撮影)
(2015年撮影)
お供え方が変わってました・・。なぜ?
(2014年撮影)
ご神体の菊慈童さんにはお茶とこのしたたりなどが備えられています。 御神体の前にお茶が備えられており、会所でお茶をいただくということは、 本来はこのお供えのお下がりをいただくことから来ています。
(2014年撮影)
菊水鉾の粽です。