参照:朝日新聞出版 平安大辞典
平安時代の地図を現代の地図に置き換えるとこんな感じになります。
JR円町駅か、市バス西ノ京円町から歩くと行きやすいです。
御前丸太町通り。
この辺りに藻壁門(そうへきもん)があり、ここから東がいよいよ大内裏です。
アップが遅くなりましたが、撮影したのは2月20日。あいにくの雨でした。
御前通りを渡るとすぐ角に、かつて左馬寮(さまりょう)がありました。
案内板によると
藻壁門は宮城十四門のひとつで、平安京西表の南から2番目の門。
切妻・瓦葺の門で、正面五間に三扉が付きます。
左馬寮は、南にある右馬寮とともに嵯峨天皇の時に再編されたもので、
宮中の馬の飼育・調教や馬具および諸国の牧を管理する役所で、
その長官を左馬頭(さまのかみ)と呼びました。
京都中央図書館・京都アスニーのところには、
造酒司(みきのつかさ)がありました。
これは図書館とアスニーの間の地面にあります。
単なる模様じゃないですよ!
造酒司倉庫跡。
案内板によると
造酒司は、ミキノツカサ、ゾウシュシ、あるいはサケノツカサとも呼ばれる宮内省所属の官司で、天皇や中宮などに出す供御(くご)及び朝廷の諸節会・神事に用いられる酒・醴(あまざけ)・酢などを醸造していました。
『続古事談』によると、造酒司には大きさの違う醸造用の大甕が三口あり、それぞれ口の部分二尺ほど(約60cm)を地表面に出して、下は土中に埋め込んで据えてあったことなどが記されています。
1978年の発掘調査で倉庫跡が見つかりました。
この建物跡は、掘立柱構造、規模は方三間(東西6m、南北7.2m)で、柱の痕跡から柱径は40cm前後に復元できます。
構造が均等に柱を配置する総柱建物であることから、醸造用の米などを保管する高床式倉庫の遺構と考えられています。
柱穴からは平安時代前期の土師器、須恵器、瓦が出土しています。
これらはアスニー内で見ることができます。