久しぶりに相国寺に行ってきました。
3月18日まで見れるのがこの3つ。
鳴き龍は前に見たから今回はパス。
時間の都合もあって、一番見たかった養源院のみに絞りました。
南の総門から入ってすぐ左にあるのが天界橋。
相国寺と禁裏御所との中間の境界線の位置にあるので、こう呼ばれているようです。
橋もとに鷺がいました。一瞬置物かと思ったw
広々とした境内。
鐘楼。
これ以上近づけないので、遠めですが、きれい~!
秘仏の毘沙門天はなかなか男前でした。鎌倉時代の慶派仏師の作と伝わり、およそ170㎝の大きさがあり、寄木造りで、左手に戟(げき)を持っています。迫力!目がキラキラしていました。
江戸時代、相国寺近くに住む奈良屋与兵衛の夢枕に、この毘沙門天像が現れて、「我が像を修復して人々に参拝せしめよ」と告げたことから発見されたそうです。
秘仏なので、普段は見れず、代わりに毘沙門天立像がこの前に置かれています。これも今日見ましたが、やはり秘仏の方が好きだなぁ。
写真は、書院に続く中庭。置かれているのは石ではなく木の化石。
何億年も前のもので、値段もつけられないほどなんだとか。
よく見ると年輪まで見えます。
この向かいにあるのが長生軒。
戊辰戦争の時、養源院が薩摩藩の野戦病院となり、イギリス人医師のW・ウィリスによって、日本で初めてクロロホルム麻酔を使った外科手術が行われたそうです。その時に薩摩藩の藩士たちが、痛みに耐えかねたり、イライラしたりしてつけたという刀傷があります。
書院「相和亭」と茶室「道芳庵」は、近衛家の桜御所から移築したものです。
書院から眺める池泉式庭園。この窓ガラスにはところどころ気泡があります。江戸ガラスが使われているんです。
そのガラス越しに見るお庭も素敵です。
まだ少し時間があったので、ふらふらと北へ歩きます。
宝塔。
こんなところにも宮内庁管轄のものがあったんですね。
後水尾天皇の髪歯塚とあります。
かろうじて、後水尾・・
かろうじて・・天皇・・。見えないよっ^^;
法堂。
地図には「護國廟」とあるけど、八幡宮でした。
日中両相国寺友好記念の碑と天響楼。
これは結構新しいですね。
碑は平成6年に建立、梵鐘は平成23年に中国の相国寺から寄進されました。
浴室。
北門へ抜けて、菓子資料館へ。
見学は前に行ったことがあるので、スルー。
スタンプがたまったので、お茶を呼ばれにいきました。
雲龍、数年ぶりに食べました。
甘いからちょっと苦手で・・。
たまーにならいいですね。
ついでにふらふら。
烏丸通に面した東側、同志社大学の前に相国寺の遺構復元があります。
以前、歴史研究家の中村武生先生とまわるツアーがあって、
その時にお話しいただいたのが、「看板を全部信じないこと」。
ちなみにこれは年代が間違っていて、文久2年(1862)ではなく、文久3年(1863)の間違い。
それがもう印象的で・・。
先日の鳥羽伏見の戦いの碑も間違っていますしね。
他にも、場所が全く違うところに立っている碑というのも教えてもらったことがあります。
結構ネットも違うこととかあるし、どれが本当か本来は文献みないとわからないですよね。
ま、そこまでもしていられないので、私は一応看板のを書くようにしています^^;