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京都散歩道

数年前、某SNSで活動していた「京都散歩道」。このたびブログにて復活しました。京都をいろいろ巡っていますので、少しずつご紹介していけたらと思います。最近は平安京巡りにはまり中。過去のデータを移行したら、写真が一部見れないので、また修正します!まとめサイト等、他サイトへの文章・写真の転載はお断りします。

京都御所周辺2(新島襄旧邸、京都市歴史資料館、法成寺跡碑、護浄院(清荒神))

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丸太町寺町を北に行くと、新島襄旧邸があります。

こっちは出口。入り口はもう少し北にあります。

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新島襄は、同志社の創立者です。

大河ドラマ「八重の桜」で新島八重が出てきましたね。

その旦那様になります。

ドラマが落ち着いたら行こうと思っていたら・・こんなに日が立ってしまいました。御所の特別公開の時に、合わせて公開されるので、外から見るだけです。

建物は木造の2階建て。外観はコロニアルスタイルを基本としています。

 

洋風建築ですが、畳敷きや箱階段などの手法も使われています。

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応接間

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書斎

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食堂

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茶室

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外観。

ちょっと覗き見しているみたいで・・今度は中に入りたいですね^^;

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外から。

この後は、京都市歴史資料館へ寄りました。

「内裏図の世界 -京都御所と公家町-」というのをやっていました。

江戸時代のいろいろな内裏の地図から、京都御苑の古い姿を見ることができます。中にはカラフルなのもありました。

 

 

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 さらに寺町通りを北へ。

鴨沂高校の北側に、法成寺跡の碑があります。

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看板によると、

寛仁3年(1019)、出家した藤原道長は、自邸、土御門殿と東京極大路をはさんだ東で、鴨川の西に九体阿弥陀堂の建立を発願し、翌年に落慶供養、以降10年ほどかけて、金堂、薬師堂、釈迦堂、五重塔など壮麗無比な諸堂が出現しました。

平安京外の東一帯に位置することから「北東院」とも呼ばれ、鴨川から臨むその姿は、宇治川から見える平等院のモデルとも言われています。

度重なる火災や地震に遭い、その都度再建されてきましたが、14世紀前半にはかなりすたれ(『徒然草』)、残っていた無量寿院(阿弥陀堂)の炎上をもって消滅してしまいました。

地図を見ても、結構大きいことがわかります。

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それよりも何よりもショックだったのが・・

鴨沂高校・・どこいったのー??

ちょっと校舎があるだけで、なくなっていたのでびっくり・・。

高校の頃、合同部活で、時々お邪魔していたんです。

HP見ても書いてないし、気になります。

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法成寺跡碑の通りを、少し東に行くと、護浄院があります。

通称を清荒神といいます。

ここも洛陽三十三箇所以来久しぶりです。

案内板によると、

本尊の清三宝大荒神は、1200余年前、光仁天皇の皇子開成親王の作といわれ、摂津の国にあったのを後小松天皇の勅により、僧乗厳が醒ヶ井高辻の地に勧請し、初めて清荒神といわれました。

その後慶長5年(1600)ここに移され、後陽成天皇御自作の如来荒神尊七体を合せ祀って、長日の御祈願を行い、元禄10年護浄院の院号を賜り、今日に至っています。また一般の家庭では、竈の上に祀られ、火の守護神とされています。

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無垢の井