数年ぶりに行ってきました。
以前行ったときは、幕末関連で巡っていたので・・
ちゃんと神社として見ていなかったんですよね^^;
良いお天気に恵まれました。
お祭りをしていたので、屋台がちょっと残念・・。
「舎人親王天武天皇の皇子。親王は持統、文武、元明、元正、聖武の五朝で国政に参与され皇室の長老として重んじられ、日本書紀の編集を主宰し奉上した。この年知太政官事となり、死後 御子順仁天皇即位に及んで、崇道尽敬天皇の称号が贈られた。
舎人親王(崇道尽敬天皇)は日本最初の歴史書である「日本書紀」の編纂を主宰。720年に完成し、紀30巻系図一巻を奉上した。また曾孫の清原夏野は「令義解」「日本後記」を編集、同族の清原深養父、清原元輔や清少納言は歌人・文人として知られ、清原家は菅原家、江家と並び、学問の家系として活躍、万葉集には三首の歌が残されている。そのため舎人親王を祀る藤森神社は学問の神として、崇敬され近世国学発生の母体となった。また一方で、舎人親王は弓矢蟇目(ひさめ)の秘法を伝えられるなど、文武両道に優れたお方であられ、皇室や藤原一門、武家の崇敬もあつかった」
とあります。
ちょうど次の日が藤森祭だったので、
拝殿には神輿がずらり。
神輿好きのため、テンションあがります~。
本殿。
祭神
中央(中座)
素盞鳴命(すさのおのみこと)、別雷命(わけいかずちのみこと)、日本武尊(やまとたけるのみこと)、応神天皇(おうじんてんのう)、仁徳天皇(にんとくてんのう)、神功皇后(じんぐうこうごう)、武内宿禰(たけのうちのすくね)
東殿(東座)
西殿(西座)
早良親王(さわらしんのう)、伊豫親王(いよしんのう)、井上内親王(いのうえないしんのう)
近くにあった三つの社が合祀されたので、こうなっています。
それぞれの縁起についてはこちら。
藤森稲荷社
藤森七福神
御旗塚
神功皇后が纛旗(とうき/軍中の大旗)を樹てたところで、
藤森神社発祥の場所。
このいちいの木は”いちのきさん”として親しまれ、参拝すると腰痛が治るといわれ、幕末の近藤勇も参拝し治したと伝えられています。
不二の水
「藤森神社の創建は平安遷都以前。桓武天皇により都を守る守護神、大将軍社が置かれました。5月5日に行われる藤森祭(深草祭)は平安時代に清和天皇の勅命による「貞観の祭」を起源とし、武者行列や駈馬神事が行われます。藤森神社は端午の節句に武者人形を飾る菖蒲の節句発祥の地。ご神水「不二の水」は二つとない美味しい水という意味で、武運長久・学問向上、とくに勝運を授ける水として信仰されています」
緑の中にひっそりとたたずむのは、神鎧(かむよろい)像。
「5月5日に斎行される藤森祭は、菖蒲の節句発祥の祭りとしてしられ節句に飾る武者人形には藤森の神が宿るといわれており、その象徴として建立されました。」
室町時代 永享10年(1438)
足利義教建立。
祭神:応神天皇
祖霊社
七宮社
右より、吉野神社、廣田神社、諏訪神社、住吉神社、厳島神社、熊野神社、天満宮社
大将軍社
祭神:磐長姫命(いわながひめのみこと)
桓武天皇が平安遷都をされたときに、都の四方に大将軍社が祀られ、そのうちの南方の守護神として祀られたのがこの社です。
古来より方除けの神として崇敬を集めています。
現在の社殿は室町時代 永享10年(1438)、足利義教の造営で、一間社流造りのこけら茸の建物です。」
天満宮社
金太郎像
後姿、ちょっとおもしろいです。
菖蒲の節句発祥の地の碑
斎館
絵馬舎
京都歩兵聯隊跡の碑