京都散歩道

数年前、某SNSで活動していた「京都散歩道」。このたびブログにて復活しました。京都をいろいろ巡っていますので、少しずつご紹介していけたらと思います。最近は平安京巡りにはまり中。過去のデータを移行したら、写真が一部見れないので、また修正します!まとめサイト等、他サイトへの文章・写真の転載はお断りします。

東山区散策① 瓜生石、花園天皇十楽院上陵

f:id:kyotomichi:20160820175817j:plain

京都市美術館へ行く前に、ちょっと東山散策。

バス停知恩院前から、華頂道を東へまっすぐ行くと、

白川がゆっくりと流れています。

人も少なく、柳の木がとてもいい雰囲気です。

f:id:kyotomichi:20160820180350j:plain

知恩院古門があります。

見事に誰もいない・・。

 

f:id:kyotomichi:20160820181135j:plain

知恩院黒門前にある瓜生石(うりゅうせき)。

10月に行われる粟田神社の粟田祭の「夜渡り神事」では、

瓜生石の周りを三度巡拝する「れいけん」の神事があります。

これを今年は見に行こうと思っていて、撮りなおしたかったんです。

f:id:kyotomichi:20160820195411j:plain

知恩院のHPには、

「この石には、誰も植えたおぼえがないのに瓜のつるが伸び、花が咲いて瓜があおあおと実ったという説と、八坂神社の牛頭天王が瓜生山に降臨し、後再びこの石に来現し一夜のうちに瓜が生え実ったという説が伝えられています。また石を掘ると、二条城までつづく抜け道がある、隕石が落ちた場所である等、さまざまな話が言い伝えられている不思議な石です。」

と書かれています。

 

粟田神社のHPには、

「約400年前の旧暦9月14日の夜、おおきな石の上に瓜が覆っており、そこに御金札(金のおふだ)があって光り輝いていた。その金札には「感神院新宮(粟田神社の旧社名)」と銘があったため神の御降臨であると金札は神社に納められ、金札の現れた石は「瓜生石」と名付けられました。」

と書かれています。

 

あれ・・書いてあることが違う^^;

ちなみに瓜生山は、銀閣寺の北側にあります。

『拾遺都名所(1787)』に、元将軍地蔵の地とあります。

ここにあった将軍地蔵ですが、山道が険しいからということで、照高院門跡が、宝暦12年(1762)に北白川幼稚園の北(勝軍地蔵堂)に移されたそうです。そしてお堂が古くなったので、お地蔵様は、東鞍馬口通白河通の禅法寺に安置されています。

幼稚園園長のブログによると、どうやらこのお地蔵さん、鎧兜を身に着けているとか・・気になります。

将軍が勝軍になっているのは、戦に勝つよう縁起担ぎをしたのかもしれませんね。

脱線しましたが・・瓜生山と瓜生石は何か関係はありそうですね。

牛頭天王木瓜(もっこう)紋→きうり→瓜 

つまり牛頭天王が降臨されたという説が一番有力だと考えます。 

瓜が生えたというのは・・後から言われた気がしてなりません。

粟田神社に収められたという金札・・見たいものです。

 

f:id:kyotomichi:20160820195459j:plain

さて、神宮道を北に行くと、

花園天皇十楽院上陵がありました。

f:id:kyotomichi:20160820195708j:plain

参拝時間は午前9時~午後4時半までとなっていました。

あ、ここにもいたずら書きがありました。

よくみると、竹木が竹本になっています。

f:id:kyotomichi:20160820195945j:plain

これまでのとは違って、ちょっと遠そう・・。

ちょっと迷いつつも行ってみることにしました。

f:id:kyotomichi:20160820200422j:plain

天皇なので、もちろん16菊紋です。

f:id:kyotomichi:20160820200052j:plain

こういう道・・一人ではやはり心細い^^;

f:id:kyotomichi:20160820200135j:plain

なかなかすごいところに立っていますね。

f:id:kyotomichi:20160820200246j:plain

意外とシンプルに祀られていました。

近衛天皇陵が異常すぎるのかな・・

kyotomichi.hatenablog.com

f:id:kyotomichi:20160820200302j:plain