高田崇史先生の小説 QED 出雲神伝説 (講談社ノベルス) で、初めてしった京都にある出雲大神宮。どうしても行ってみたくなって、行ってきました。JR亀岡駅から、バスは2時間に1本! とはいえ、JRとの接続はとてもよく、京都駅から30分、バスで15分。
行きも帰りもそれほど待った感じはなく、スムーズに参拝できました。過去行った神社の中で、一番よかった!
ちなみに京都・宮津市にある籠神社(このじんじゃ)は、丹後国一ノ宮で、元伊勢籠神社ともいわれています。山城国一ノ宮は、上賀茂神社、下鴨神社になります。
あっちこっちにハート型。かわいいです。
神池には弁財天社があります。
祭神:市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
弁財天社
一の鳥居。
石碑によると享保三年(1718)三月に建立。
一の鳥居の前では、なでうさぎさんがお出迎え。
「真名井の水」
この御神水、古生代の石灰岩層を伝って、さらにマグマの接触変成岩層(火山噴火でできたマグマに接触して変化した岩の地層)から湧き出ているという、非常に珍しい水なんだそうです。
出雲大神宮のホームページには結晶の写真も載っています。
真名井のいずみ
古来より絶えず流れ続ける真名水の水は大神様の御恵みであり、その大御陰を頂いて田畑が潤い、安芸には山吹色に色づいた稲穂が収穫されることから、その水はおのずと御神水と奉られてきました。
「千年山これやむかしのさされ石いは
ほにふかき苔のいろかな」
これは宗尊親王が詠まれた和歌ですが、藤原為章によれば、古歌あ旧記に載す千年山とは御影山を指すとしています。御神体山中の静けさに響く清らかな御影の瀧の水音を聞けば、おのずと神聖さを感じずにはいられないことでしょう。
と記載されています。
岩に結ばれているのは赤い糸。社務所で授与される縁結びの御守には赤い糸がついていて、その糸を岩のまわりに結び、お守りは身につけるのだそうです。
大国 恵比須社
社殿創建1305年を記念して、平成26年に創建。
まるで兄弟みたいにそっくり!
本殿に行く前に、左手の鳥居を抜けます。
まっすぐ行くと見えてくるのが、黒太夫社です。こちらを先に参拝するのが、正式な参拝方法だそうです。
黒太夫社
祭神:猿田毘古神(さるたひこのかみ)、大山衹神(おおやまつみのかみ)
大国主命のあと、地上に君臨することになった邇邇芸命(ににぎのみこと)を先導したのが、猿田毘古神です。
大山衹についてはこちら。
御本殿より先にお参りする・・つまり、主祭神が来る前にここに鎮座していて奪われたために御霊(=怨霊)となって祀られているという説。
つまり、大国主の前には大山衹が鎮座していた、私はこの説に賛同です。猿田毘古神も大国主にとっては、とんだ邪魔者ですよね。邇邇芸命なんて連れてくるから、きっと殺されたのでしょう。
祖霊社
祭神:歴代の神職、役員、総代氏子、特別崇敬者の物故者
拝殿
申年の絵馬がありました。
ちょうどこの日は七五三で、実は大混雑^^;
本殿
御祭神
大国主命(おおくにぬしのみこと)
三穂津姫命(みほつひめのみこと)
三穂津姫は、高天原の神である高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)の娘で、大国主の妃です。
『丹波国風土記』に、「奈良朝のはじめ元明天皇和同年中、大国主命御一柱のみを島根の杵築の地に遷す。すわなち、今の出雲大社これなり」とあり、出雲大社よりも古くから鎮座していたと考えられています。また吉田兼好の『徒然草』の第二百三十六段にも、「丹波に出雲と云う所あり。大社を移して、めでたく造れり」と書かれています。正式名を出雲大神宮(いずもおおかみのみや)といいますが、昔は出雲神社や千年宮とも言われていたそうです。
本殿横にある舟岩
いざ、鎮守の社へ。
その前に社務所に申し出て、受付簿に日時、名前、住所を記載して、たすきを受けます。このたすきがないと、上の磐座には入れないことになっています。
・・の前に、笑殿社(わらへどのしゃ)だけ離れているので、先に行きました。
笑殿社
祭神
事代主命(ことしろぬしのみこと)
少那毘古名命(すくなひこなのみこと)
『古事記』の出雲の国造り、国譲りの神話によると、
大国主は須佐之男尊の命に従って、出雲の宇迦の山麓(御崎山)に宮を設けて国造りをしていきます。その時に協力したのが少那毘古名命です。大国主が美保の岬に出かけたときに、波の上を天(あめ)の羅摩舟(かがみのふね)に乗り、蛾の皮を剥いで作った着物を着て近づいてきたのが、神産巣日神(かむむすひのかみ)の子である少那毘古名命でした。でも途中で常世国(とこよのくに)に行ってしまいます。
え・・逃げちゃうの?
その後、大国主が地上全体を治めるようになると、大国主(おおくにぬし)の前に建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)が現れ、「地上は、天照大御神と高御産日神(たかみむすひのかみ)の命で高天原の御子(天照大御神の子、天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと))が治めることになった。異存はあるか」と尋ねます。大国主はその場で答えられず、子の事代主命に相談します。そして事代主は、「献上しましょう」と答えます。そして、自分の舟を転覆させてそれを柴垣に変えてそこに隠れてしまいます。
こっちも、逃げちゃうの?
意志で譲ったみたいになってるけど、んなわけないでしょ。くれといわれて土地をあげるわけない。参道が90度に曲がっているので、きっとこの二人も殺されたんじゃないかなぁ。そして奪ったのでしょう。だからこそこんなふうに祀られているのかもしれません。
ちなみに、先に既述のように、天忍穂耳命ではなく、最終的にはその子である邇邇芸命が君臨します。
一度戻って、鎮守の社の入口へ。笑殿社からそのまま上がれますが、なんとなくここから入りたくて。
少しあがると第十代崇神天皇社があります。
崇神天皇(3世紀後半から4世紀初頭の天皇といわれています)が再興されたことから祀られているようです。再興っていうことは、もっとその前からここはあったというわけですよね。
さてここから神域です。
こんな風に厳重に立て看板があります。
「失礼します」というような心持ちで入らせていただきました。
山道というのはどうも苦手なんだけど・・ここは全然そういう怖さを感じませんでした。気は透明感があって柔らかく、すーっと体に入ってきます。そして木々に温かく見守られているような感じがしました。
磐座群
祭神:国祖である、国常立尊(くにのとこたちのみこと)
この御影山に、神々が降臨されたといわれています。
「この磐座群は、御神体山御影山に静まる國常立尊の象徴として皇祖より一万年以前からこの地に静まっています。伝承によると、國常立尊は丹波国の桑田の宮に天の御舎を立てここにお遷りになられことば述べられています。今尚、禁足の地であるこの磐座は、まさに國常立尊の聖蹟であると伝えられます。」
と記載されています。
禁足地
まさに、神々降臨。
余りの素晴らしさに、ただ感動です。
手を合わせて、「ありがとうございました」と礼をしました。
上ノ社
祭神:素戔嗚尊(すさのおのみこと)、奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)
この2人は夫婦です。
詳しくはこちらをどうぞ。
歩いていると、紙垂がかけられた岩があちこちで見かけられます。
これらにも触れながら先を進みます。
稲荷社
祭神:宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
素戔嗚尊が、奇稲田姫命の後に娶った、神大市比売(かむおおいちひめ)との間に生まれた娘です。
詳しくはこちら
御蔭の滝(みかげのたき)
祭神:竜神乃神
春日社
祭神
建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)
天兒屋命(あめのこやねのみこと)
天兒屋は、祭祀を司っていた藤原氏の祖といわれています。
鳥居から見ると、真正面にこの磐座が見えます。
川を渡った奥には古墳があります。
横穴式の前方後円墳車塚古墳(5~6世紀前頃)
何という神々しさ!こちらも山の上の磐座群と同様に、神域となっており、中には入ることはできません。
ちなみに、正面から見るとこんな感じ。だいぶ印象が変わります。
大国主は縁結びの神でもあるので、こういった絵馬があります。
大国主には別名がたくさんあります。
大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)、大己貴神(おおなむちのかみ)、大物主神(おおものぬしのかみ)、八千矛神(やちほこのかみ)、大穴持神(おおあなもちのかみ)、大国魂神(おおくにたまのかみ)、顕国魂神(うつくしくにたまのかみ)、廣矛魂神(ひろほこみたまのかみ)、大地主神(おおとこぬしのかみ)、所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)、奇雍魂神(くしみかたまのかみ)、葦原醜男神(あしはらしこおのかみ)、三穂津彦神(みほつひこのかみ)、伊和大神(いなのおおかみ)、幽冥事知食大神(かくりごとしろしめすおおかみ)、出雲御蔭大神(いづもみかけおおかみ)、杵築大神(きづきおおかみ)・・。
島根県の出雲大社は、明治4年まで杵築神社と言われていたので、最後の名前はこの時の名前ではないでしょうか。そう考えると、出雲大神宮の御神体山が御影山、御蔭山、千年山とも言われていることから、最後から二番目は、この時の名前だったのでしょう。
大国主は、かなりのプレイボーイだったようで、各地で女性と結ばれ、子供が180人もいたといわれています。名前も使い分けていたんじゃないかなぁ、ずるいやつ。
で、最後には土地も奪われ、子も殺されて、やっぱり縁はなかったと思う。
縁がなかった、だからこその縁結びの神。
そういう事情を知ってから、最近は願い事を云うのをやめて、「安らかにお眠りください」とお参りするようになりました。
上から見た本殿と紅葉。本当にみごとです。
せっかくなので水みくじもしてみました。
貴船神社と同様、水に浮かべると文字が浮かんできます。
御蔭山(千年山)を突き抜けるような立派なイチョウの木も、青空に映えて美しいです。
バス亭の前にあった、1200年祭記念碑。
明治42年4月17日建立。
その上には神饌田が広がっていました。
新嘗祭やその他神事で奉納するためのものです。
バス停の前の銀杏も見事でした!
バスの中から名残惜しく撮影。
帰る頃には、心の中にあったモヤモヤがすーっと消えて、清々しく、自分の中の邪気が浄化された感じがしました。