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京都散歩道

数年前、某SNSで活動していた「京都散歩道」。このたびブログにて復活しました。京都をいろいろ巡っていますので、少しずつご紹介していけたらと思います。最近は平安京巡りにはまり中。過去のデータを移行したら、写真が一部見れないので、また修正します!まとめサイト等、他サイトへの文章・写真の転載はお断りします。

東寺(教王護国寺)

【神社仏閣】京の謎はここにあり 南区

東寺・・なんども行ってるのに、写真もたくさん撮ってるのに、記事にもほとんどしていなかったので、初詣がてら、改めて一部撮りなおしました。

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(2006.5.8撮影)

東寺は、平安京の正門である羅城門の東西に建てられた王城鎮護の寺のひとつです。

 

九条通りの南門側から撮影。歩道橋の上からだとより眺めがよいです。

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(2015.1.3 朝6時半 雪の日に撮影)

こちらも合わせてどうぞ。

kyotomichi.hatenablog.com

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南大門(2006.5.8撮影)

これはまた撮りなおしたいですね。

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御影堂(2006.5.8撮影)

この裏側が、国宝・秘仏不動明王のお参りができるようになっています。

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弘法大師の作で、大師の念持仏と伝えられています。大師が御入定のため高野山へ向かわれた際、蓮花門まで見送られた伝説がある。秘仏とされ、平安末期の第42世東寺長者、寛信師が像の光背を修繕したところ、すぐに入寂したため、以来一切御開帳がない。一方では強い御利益があると暑く信仰を集め、現在正月と毎月21日に護摩供養が行われる。」

と書かれています。

実は、記事を書くために東寺の行事を調べていたら・・ちょっとこの不動明王の夢を見たんです。どんな夢か気になる方はこちら(2016.12.16)をどうぞ。

 

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1月3日に行われる「修正会(しゅしょうえ)」。

僧侶たちがぐるりと御影堂を囲み、堂内のすべての柱に御朱印を押していくんですが、結界を張って、お堂から出てこないようにしているように思えたんです。さらに念仏を唱えるわけです。そして、この文章からしても、寛信師が修繕したにもかかわらず亡くなったわけで・・そういった念がこもった像ってことでしょ。弘法大師さん、何か強い思い(恨み?)を遺して亡くなったのかなぁ? これって、まさに怨霊供養じゃないの?? とか思ってしまったり。あくまでも勝手な想像ですよ。

だけど、こんな夢も見てしまったし、酉年の守り本尊は「不動明王」なので、しっかりお参りしておこうと思ったわけです。

 

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今は向かい側に仮御影堂ができていました。

修理してるの知らなかった!

 

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大日堂

国宝の弘法大師尊像の御開帳をしていました。

東寺の中で一番新しい建物で、もともとは御影堂の礼拝所でした。

大日如来を本尊としたので大日堂となりました。

中の壁には、蓮の芽吹きから花開くまでを描いた絵が飾られています。

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鐘楼

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不動明王

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三面大黒天

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天降石(てんこうせき)

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「古くからこの地にあったと伝えられ、江戸時代には護法石(五宝石)或いは不動石と呼称され、いつの頃からか天降石と呼ばれるようjになりました。石を撫でた手で体の悪い個所を触ると病が治ると信仰され、別名撫で石とも呼ばれています。」

と書かれています。

私はお腹が弱いので、なでなで・・w

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尊勝陀羅尼の碑

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「本来は北野天満宮の宗像社のそばに、嘉永6年(1853)比叡山の僧願海によって建てられたもの。慶応4年(1868)の神仏分離令によって、この場所に移されました。この周囲を回りながら、亀の頭や手足などを撫でて、その掌で自分の患部をさすると、万病に効くということで信仰を集めています」

最近物忘れもひどいので・・頭をなでなで・・w

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万病ぬぐい

「尊勝陀羅尼碑の下の亀に見えるのは、中国の想像上の動物の贔屓(ひいき)で竜の子とされ、重いものを背負うことを好み、甲羅に建つ石塔は永遠不滅といわれ、古来より石柱・石碑・墓の土台に用いられており、万病平癒の御利益があると信仰を集めています。

万病ぬぐいの布で贔屓を擦り自身の患部を擦ってください。傷病が治ったり効果が薄くなったと感じたら、布納めの棒に結んで納めてください。」

とあります。万病ぬぐいの布は、御影堂の前で授与されます。

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毘沙門天

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観音様があります。

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本坊

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勅使門

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菊の透かし紋に、正月ならではの幕が見え、まるでステンドガラスみたいです。

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「小子坊は、かつて西院大師堂の一面にあり、建武3年(1336)6月14日より半年間、北朝光厳上皇は、ここで政務をみることとなり、尊氏は千手堂(食堂)に移住したといわれる。現存の建物は昭和9年(1934)弘法大師一千百年御遠忌の記念事業として新築。用材はすべて木曽檜を用い、襖絵は堂本印象画伯の筆になり、昭和の代表的な建築物ということができる」

とかかれています。

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灌頂院北門 重要文化財

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東寺鎮守八幡宮

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「鎮守八幡宮は弘仁元年(810)の薬子の変にさいして、弘法大師空海八幡神をまつり、社を建立したことに始まるとされています。本尊の八幡三神像は、一本の霊木から三躯を造りだした貴重なもので、秘仏として早くから大切に伝えられてきました。南北朝時代東寺の内外で戦闘が行われたとき、鎮守八幡宮から神矢が飛んで、東寺に陣をおいた足利尊氏が勝利しました。この戦勝にちなんで、以後足利幕府は東寺を保護し、鎮守八幡宮は大変栄えました。明治元年(1868)には、南大門や八島舎とともに焼失するなどの憂き目をみましたが、平成4年(1992)に再建されました。」

まだ14年前に建ったばかりなんですね。昔からあった覚えがないなーと思っていたわけだ。

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修行大師像

 

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金堂

本尊は薬師如来日光菩薩月光菩薩

正面からお参りすることができます。

 

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八島社

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よく見ると、磐の上に建っています。

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「祭神は東寺の地主神とも、大己貴神(おおなむちのかみ)とも言われる。八島社というのは、我が国を大八洲瑞穂国(おおやしょみづほのくに)というところから起こった社号である。それゆえこの社は東寺以前より鎮座されており、弘法大師はこの神の夢想を被ってここに伽藍建立に先立ち、この神へ寺門造立成就、方位安全、法道繁盛の祈願をされ、地主神とあがめられたと伝えられる。」

これは昔からあるのは知っていたけど・・まさか東寺より前からあったとは! いろいろ知らないものですね^^;

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五重塔

高さ約55mで、木造では日本一の高さです。

寛永21年(1644)に再建したもので、5代目になります。

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宝蔵

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「創建当時は、南北一棟存在し、宝物経巻を収蔵していた。長保2年(1000)と大治元年(1126)に焼失して、建久年(1198)に文覚上人によって再建されたものが残ったとされていたが、解体修理の結果、東寺創建に近いころの建立と考えられる。」

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小野道風ゆかりの柳と伝えられています。

歌舞伎小野道風青龍硯

『柳ケ池蛙飛の場』の舞台より

と書かれています。

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慶賀門(東門) 重要文化財

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この日は時間がなかったので、省略しましたが、また宝物館や本殿の参拝も改めて行きたいと思います。