実際は、福禄寿・弁財天・恵比須神・布袋尊・大黒天・毘沙門天・寿老人の七福神に、番外で愛染明王・楊貴妃観音を加えた九福神になります。
中国では「九」は最大の吉数で、「久しく」福が続くように・・という意味があるそうです。
こちらはずっと気になりつつしたことがありませんでした。
なので、一度は行ってみようと思って、新熊野神社のついでに行ってみました。
第一番 即成院 福禄寿
福笹(無料)を入り口でもらって、番号順に巡っていきます。
そして各寺院を巡って吉兆(有料 300~)をつけていきます。
弓の名手で、屋島の戦いで、平家側の船に立てられた扇を見事射落としたことで有名な人ですね。
人が多すぎて切れ目がないので、こんな写真になりましたが。
二番 戒光寺 弁財天
融通弁財天ともいい、手が8本あります。
融通を聞かせてあらゆる願いを聞いて下さるとか。
秘仏で年2回(1月9日/11月3日 弁財天大祭)だけ公開されます。
こちらの近くで小豆粥の接待がありました。
ゆかりがはいっています。
ふうふう吹くと福が逃げるそうです。(笑)
小豆は厄除けの意味があるので、ありがたくいただきました。
大日如来の変化神で、全身真っ赤で憤怒の相を表しています。
子守り大師
第三番 今熊野観音寺 恵比寿
屋根の上は中国っぽいですね。
恵比寿像にびっくり。
第四番 来迎院 布袋尊
木造の荒神座像とその護法神五躯は鎌倉時代のもので、重要文化財に指定されています。
忠臣蔵で知られる大石良雄が山科に浪宅を構えたころ、寺請証文を受けた関係から、大石の寄進による茶室・含翠軒や大石の念持仏とされる勝軍地蔵尊をはじめ、赤穂浪士に関する遺品を多く蔵しています。
石の船?に布袋さんがいっぱいっ。
泉涌水屋形
「名前の由来となった清泉を覆う屋形。寛文8年(1668)に再興。
桟唐戸で上部に欄間があり、屋根には軒唐破風。
内部は別所如閑筆の蟠龍図のある鏡天井。
平安時代に左大臣藤原緒継が神修上人に帰依して法輪寺を建立し、その後寺は仙遊寺と改修されました。泉涌寺の開山俊芿律師が仙遊寺の地を寄進され、中国宋を手本とした伽藍の造営を志した際、ここに清泉が湧き出たので寺名を泉涌寺に改めたと伝えられています。」
浴室
仏殿
阿弥陀、釈迦、弥勒三尊仏や大涅槃図などがみられます。
番外 楊貴妃観音堂
色鮮やかで美しい楊貴妃観音が見られます。
経堂
第五番 雲龍院 大黒天
入り口ではお下がりのお餅を配っていました。
「身寄りのない老人や貧しい人、親のない子供を収容する福祉施設だそうです。難波京や平城京内に設けられ、平安京でも東西2箇所の悲田院が設けられました。
寺伝によると、鎌倉時代の延慶元年(1308)、無人如導により安居院(上京区)に天台・真言・禅・浄土の四宗兼学の寺院として建立され、平安京の悲田院の名が引き継がれました。
後花園天皇の勅願寺とし、これより代々の住職は天皇の綸旨を賜り、紫衣参内が許されました。」
ここからの眺めがまたよいですね。
第七番 法音院 寿老院
鎌倉時代末期、嘉暦元年(1326)創建。応仁の乱により焼亡。
江戸時代初期、寛文5年(1665)に再建。書院は伏見桃山城の遺構の一部。
洛陽三十三観音霊場第25番札所で、これで以前訪れたことがありました。
法音院鎮守社(三社明神)
神鹿
鹿を神使いとする春日大明神の本地仏(本来の姿である仏様)が、本尊でもある不空羂索観音であり、また七福神の寿老人も鹿を神使いとしていることから安置されました。
さてこれで全部まわりました!
福笹はこんな感じになりました。
吉兆はこんな感じになりました。
ん・・1個足りない?
ありゃ・・楊貴妃観音かなぁ。
雨が降るし、重いし、2時間くらいかかって大変でした。
新年早々のいい運動になりますね。