京都散歩道

数年前、某SNSで活動していた「京都散歩道」。このたびブログにて復活しました。京都をいろいろ巡っていますので、少しずつご紹介していけたらと思います。最近は平安京巡りにはまり中。過去のデータを移行したら、写真が一部見れないので、また修正します!まとめサイト等、他サイトへの文章・写真の転載はお断りします。

東京 曽祖父の旅路を辿る② 上野

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つづいて上野へ。

上野公園に来たのは小学生以来かもしれない。

こんなにごちゃごちゃしてたっけ?

下は砂地で広々していた覚えがあります。

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彰義隊(しょうぎたい)の墓

慶応4年(1868)大政奉還後、15代将軍徳川慶喜の一橋藩時代の側近小川興郷らが集まって、新政府軍へ反発で作ったのが彰義隊というとのこと。上野戦争で新政府軍に半日で壊滅させられたとか。

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水観音堂

寛永8年(1631)に建立。

京都の清水寺を見立てたお堂だそう。

御本尊も清水寺から遷座された千手観音菩薩

当初は上野公園内の擂鉢山(すりばちやま)に建てられましたが、工事に伴い元禄7年(1694)に現地に移築されました。

国指定重要文化財

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木の間から弁天堂が見えます。

変わった形ですねー。

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人形供養

 

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こういう古めかしい石碑が好きです。

屋台が邪魔だな・・。

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東叡山寛永寺 不忍池弁天堂 本殿

寛永2年(1625)に創建。

不忍池は琵琶湖に見立てられ、竹生島に因んで池中に中之島弁天島)を築き、竹生島宝厳寺の大弁財天を勧請し、弁天堂を建立しました。

昭和20年の空襲で消失し、昭和33年に再建。

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右横から、池の向こうへ渡れるようになっています。

池側から見ると六角形になっています。

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ただ、このビルとボートの景観が残念・・。

 

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芭蕉

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ふぐ供養碑

 

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大黒天

 豊臣秀吉公が大切に護持した大黒様を祀る。

戦災で消失したが、昭和43年に再現。

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五條天神社

祭神:大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)

   相殿 菅原道真

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花園稲荷神社

祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)

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忍坂

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薬師如来が祀られています。

 

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上野大仏

寛永8年(1631)、越後の国村上城主堀丹後守直寄公旧自邸内のこの高台に、戦乱に倒れた敵味方将兵の冥福を祈る為に、土で釈迦如来像を造立。

聖堂大仏は、明暦・万治の頃(1655-60年)木食僧浮雲師により銅佛に改められた、

仏殿は元禄11年(1698)露座の大仏に仏殿が建立。

その後に火災に遭い、また大正12年の関東大震災によって佛頭がおち、佛体は解体されたが、昭和47年尊顔を旧地に迎えて再建。

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なぜかトーテムポール

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おばけ灯籠

寛永8年(1631)に佐久間大膳亮勝之が東照宮に寄進した石造灯籠。

大きさは高さ6.0.m、笠石の周囲3.63mと巨大でこう呼ばれている。

同じ勝之が寄進した京都南禅寺、名古屋熱田神宮の大灯籠とともに、

日本三大灯籠に数えられる。

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上野東照宮

寛永4年(1627)に津藩主藤堂高虎天台宗僧侶天海僧正により、東叡山寛永寺境内に家康公をお祀りする神社として建立。正保3年(1646)に正式に東照宮となりました。

祭神:徳川家康徳川吉宗徳川慶喜 

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立派な石灯籠がすごく並んでいてびっくり。約200基あるそうです。

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旧東叡山寛永寺五重塔(旧東照宮五重塔

寛永8年(1631)に上野東照宮の一部として建立。寛永16年(1639)の火災により消失、再建されたもの。

 明治時代の神仏分離令で取り壊し対象となり、宮司は手放して、寛永寺の所属であると申し出たことにより取り壊しが免れました。国の重要文化財

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銅灯籠

藤堂高虎など諸国の大名が奉納したもの。国の重要文化財

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参道の灯籠を横から見ると、また迫力!

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狛犬の石工、酒井八右衛門寄進の鈴

鳥居や狛犬などには酒井八右衛門、墓碑や顕彰碑には井亀泉の銘を刻んだ。

鈴の来歴は不明で、昭和30年頃珍品であるので人目につくところにと、この水屋につけられたとのこと。

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唐門

1651年造営の国指定重要文化財

唐破風造り四脚門。

左甚五郎作の昇り竜、降り龍の彫刻、扉には若草格子、扉上には亀甲花菱、

正面上部には錦鶏鳥・銀鶏鳥の透かし彫りなど。

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なかなか立派なので、有料で中も拝観することにしました。

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樹齢約600年の大楠

幹周囲約m、高さ約25m

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栄誉権現者(お狸様)

四国八百八狸の総師、奉献された大奥で暴れ追放後、大名・旗本諸家を潰し、大正年間本宮に奉献された悪業狸、他を抜く(たぬき)という縁起から強運開祖などと信仰されています。。

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透塀慶安4年(1651)造営。国指定重要文化財

社殿の東西南北を囲んでいて、上段には野山の動物、下段には海川の動物の彫刻が内外両面に200枚以上描かれています。

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社殿

慶安4年(1651)造営。国指定重要文化財

現社殿は、三代将軍徳川家光公が造営替えしたもの。

 

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本殿

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拝殿

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彫刻がほんと細かいです。見事!

 

 

 

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時の鐘

花の雲 鐘は上野か 浅草か

芭蕉が詠んだ句は、この鐘のこと。

もともと江戸城内で撞かれていましたが、寛永3年(1626)に日本橋石町に移され、江戸市民に時を告げるようになったという。

元禄以降、江戸の町拡大に伴い、上野山内、浅草寺、本所横川、芝切通し、市谷八幡、目白不動、目黒圓通寺、四谷天龍寺などにも置かれた。

初代の鐘は、寛文6年(1666)鋳造。その後天明7年に鋳直されたもの。