義経ゆかりの地として、ずっと行きたいと思っていたこちらに、
ようやく行ってきました。
怖そうな漢字ですが、かどでと読みます。
「王朝華やかなり頃、桃園親王の旧跡として知られ、境内地も広く池あり築山あり桃の木多く花爛漫と咲き、稚児舞の奉納などあり、その情景は絵巻物の感あり。諸人の崇敬厚く神験も広く及び古来神威盛んな神社として神徳をたたえられている。
高倉天皇承安4年(1174)3月3日、源九郎義経が征途の首途にあたり鞍馬山から当社に参拝し、旅の安全と武勇の上達を願い宇佐八幡宮の神霊を勧請鎮められたのを創始として首途八幡宮と称する」
「宇佐神宮(大分県宇佐市)から八幡大神を勧請したのが始まりと伝えられ、誉田別尊(ほんだわけのみこと/応神天皇)、比咩大神、息長帯姫命(おさながたちしひめのみこと/神功皇后)を祭神とする。
もとの名を内野八幡宮(うちのはちまんぐう)といい、平安京の大内裏(皇居や官庁があった場所)の北東に位置したため、王城鎮護の神とされた。
かつてこの地には奥州(東北地方)で算出される金を京で商うことを生業としていた金売吉次の屋敷があったと伝えられ、源義経(牛若丸)は奥州平泉に赴く際に、吉次の助けを得て、ここで道中の安全を祈願して出発したといわれている。首途(かどで)とは出発を意味し、この由緒により首途八幡宮と呼ばれるようになった。このことから特に旅立ち、旅行安全の神として信仰を集めている。」
鳥居をくぐると・・
奇妙に二つ鳥居がありました。
八の字は鳩になっていますね。
階段を上がっていくと、このような本殿がありました。
赤い鳥居の方は弁財天です。
日文研「花洛往古圖 : 京の水」より
内容は平安時代の地図ですが、成立年代が1791年なので・・
なんだかおかしな地図になっていますね。
「桃園」と記載ありつつ、すでに「義経誕生所」まで書いてある!
書かれているってことは、すでに名を残していることなので。
ちなみに、桃園天皇は、1741-1762年。
「天皇」は、崩御されてから贈られる称号で、崩御された場所やゆかりの地がつけられます。つまり桃園天皇が崩御される前から桃園という地名はあったということですね。
今は桃園とは言わないけど、平安時代は言われていたのかな・・?
ところで、金売吉次が実在したかは、実際はわからないようですね。
でも、鞍馬寺を出て、生まれ育ったところを懐かしみつつ、このあたりを立ち寄り、蹴上から山科を通っていくのは、道筋としては合っているとは思いますね。
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