【鶏鉾(にわとりぼこ)】
(撮影:左2004.7.17、中・右2006.7.17)
鉾頭には、三角の中に鶏卵を象徴する金の円。中国、堯(ぎょう)の時代に天下が良く治まり諫鼓(訴訟用の太鼓)も用いられなくなり鶏が巣を作った中国の古事に由来。 真木の中ほどには航海の神といわれる住吉明神を祀っています。見送りの16世紀のベルギーのタペストリーは重要文化財となっています。
(撮影:2004.7.16)
絵を新調したそうで、左が旧、右が新しいものです。
【菊水鉾】
(撮影:2004.7.17)
鉾頭には16弁の金色の菊花をつけています。鉾名は、町内の菊水井戸にちなんで付けられました。元治元年(1864)の大火で消失しましたが、昭和27年に再興され、胴懸・水引などの装飾品は昭和の芸術家の作品で多く飾られています。
(撮影:2006.7.17)
【放火鉾(ほうかぼこ)】
(撮影:左・中2004.7.17、右2006.7.17)
鉾名は、天王座に放下僧を祀る事に由来。鉾頭は、金色の日・月・星が下界を照らす形。鉾頭の形から別名州浜鉾とも呼ばれます。かつては長刀鉾と同様「生稚児」でしたが、昭和4年以降稚児人形にかえられました。稚児人形は久邇宮多嘉王殿下より三光丸と命名せられ、巡行の折には稚児と同様、鉾の上で稚児舞いができるように作られています。
破風正面の高浮彫「三和の丹頂鶴」
【綾傘鉾(あやがさぼこ)】
(撮影:左2004.7.17、右2007.7.17)
鉾頭には、金の鶏と金幣。大きな2つの傘の前を赤熊(しゃぐま)を付けた棒振りとお囃子の行列が歩くのが特徴。棒振り囃子には、疫病退散の意味が込められています。
(撮影:2007.7.15)
天保5年(1834)一時小型の鉾に改造されますが、元治の大火でその大部分を焼失し、明治12年から17年まで原型の徒歩囃子の形で巡行しています。
【四条傘鉾(しじょうかさほこ)】
(撮影:左2004.7.17、中2007.7.15、右2009.7.14)
鉾頭は、花瓶・赤幣・若松を飾っています。応仁の乱以前に起源を持ち、綾傘鉾と共に古い形態の傘鉾です。巡行時に総勢16名の子供達による棒振りとお囃子が再現されています。その構成は、棒振り・鉦(かね)・太鼓・ササラ各2人の桂8人の子供たち2組からなります。
元治の大火の後も巡行に加わっていたが,明治4年以降,道具類もちりぢりになって消滅同然となっていました。昭和63年から,117年ぶりに巡行に復帰。棒振り踊りは,滋賀県甲賀地方の“ケンケト踊り”が元になっています。
この棒振りとお囃子、そしてくじ改めは、14~16日の夜にも時間帯によって見ることができます。
昔、私の同級生もこのお囃子に参加していました♪