京都散歩道

数年前、某SNSで活動していた「京都散歩道」。このたびブログにて復活しました。京都をいろいろ巡っていますので、少しずつご紹介していけたらと思います。最近は平安京巡りにはまり中。過去のデータを移行したら、写真が一部見れないので、また修正します!まとめサイト等、他サイトへの文章・写真の転載はお断りします。

祇園祭 山 その2

【北観音山(きたかんのんやま)】

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(撮影:左・中2009.7.14、右2007.7.15)

楊柳観音像と韋駄天立像を安置しています。鉾ではないので真木の代わりに真松を立てます。松は、毎年鳴滝 から届けられ、籤で所有を決めています。正面破風奥にある鱗板木彫彩色の雲鶴は、1833年片岡友輔作。周りの雲龍文厚肉彫金具や牡丹唐草文透彫金具も同年作の緻密な作品です。見送りは「鳳凰宝散し額百子嬉遊図」は17世紀の中国製で昭和61年に購入したもの。天水引きは雲龍文の刺繍、前掛けは昭和58年購入のペルシャ絨毯の逸品です。

【南観音山(みなみかんのんやま)】

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(撮影:2006.7.17)

俗に「北観音山の観音様は男性、南観音山は女性なので、南では宵山の夜更けに翌日の巡行の無事を祈って“あばれ観音”の行をされる」といういい伝えがあり、「あばれ観音」の別名があります。楊柳観音像と善財童子像を安置しています。楊柳観音は、三十三観音の筆頭とされ、姿を変えて、手に柳を持ち薬師観音と同様に衆生の苦難を救うという。この山の楊柳観音は頭から袈裟をつけ趺座(ふざ)しています。善財童子は、文殊菩薩の指示で南へ行き、53人の聖者を訪ねたという説話は、教えるという意味の指南や、東海道五十三次の語源になったといわれています。

前掛けは、昭和51年購入のメダリオン中東連花文のペルシャ絨毯、見送りは昭和63年に新調した加山又造下絵による「龍王渡海図」。山の四隅にの角房掛けには、蘭菊梅竹を木彫りにした金色の薬玉が使われています。

【郭巨山(かっきょやま)】

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(撮影:左2004.7.17、中・右2006.7.17)

ご神体は、貧困ながら母に孝養をつくしたい郭巨が自分の子供を山に捨てに行ったところ黄金の釜を掘り当てた中国の史話二十四孝の古事に由来しています。

山には屋根がないのが普通ですが、この山は日覆障子を乗せています。金地彩 色法相華文の板絵として他の山にない古い形式を残している。人形は、鍬を持つ郭巨と紅白の牡丹の花を持つ童子の2体。前掛けは中央が中国の「婦女嬉遊図」で、周囲は散雲瑞鳥の刺繍。

【黒主山(くろぬしやま)】

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(撮影:左2009.7.14、右3つ2008.7.16)

ご神体は、平安時代歌人大伴黒主(おおとものくろぬし)が桜を仰ぎ眺めている姿で、謡曲志賀に由来しています。山に飾られる造花の桜と粽を玄関に掲げておくと悪事が入ってこないと言われています。前掛けは、「蔓暦帝龍王図」、後掛けは飛龍文の切付刺繍という珍しいもの。

【鯉山(こいやま)】

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(撮影:2009.7.14)

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(撮影:2007.7.15)

ご神体は、1m半にもなる鯉で、黄河龍門の滝を登った鯉は竜になるという登竜門に由来しています。前懸・胴懸・水引・見送は、16世紀ベルギータペストリーでイーリアス物語の場面を描写しています。 朱塗りの鳥居の奥には、素戔鳴尊(すさのおのみこと)を祀る社殿が鎮座しています。

【浄妙山(じょうさやま)】

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(撮影:左2つ2008.7.16、右2つ2007.7.15)

ご神体は、平家物語宇治川の合戦をモチーフに一来法師が三井寺の僧兵筒井浄妙の頭上を越え先陣を取った一瞬を見事に表現しています。宵山では、2体のご神体と矢の刺さった黒漆塗りの橋を近くで拝観出来ます。橋には何本も矢がささっており、一来法師は左手だけで固定されています。浄妙坊が身に着けていたふるい鎧は、室町時代に製作されたもの。後掛けは、この町内に住んでいた本山善右衛門がつくった雲龍文のかがり織。

鈴鹿山 (すずかやま)】

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(撮影:左2009.7.14、右2007.7.15)

ご神体は、鈴鹿権現(瀬織津姫命)。伊勢国鈴鹿山で、人々を苦しめた悪鬼を退治した伝説に由来します。金の烏帽子をかぶり、面をつけ、大なぎなたを手にする女性の姿をしています。

山鉾巡行後は、山の上の松に付けられた絵馬(盗難除けの護符)が授与されます。

中国から伝わった百仙人綴錦の前掛けの老朽化が激しく、1989年、砂漠を行くラクダをデザインした前掛け「黄砂の道」が220年ぶりに新調されました。 見送りは、昭和57年皆川月華作の華を描いた「ハワイの蘭花図」、胴掛けは、今井俊満原画の「桜図」「紅葉図」などがあり、ご神体にあわせてか優美なものが多い。