法金剛院の北にあります。
中からは行けないので、外からぐるっとまわりました。
宮内庁管轄だったのですね。
待賢門院(璋子)は、鳥羽上皇の中宮で、
でも、崇徳天皇が叔父子(鳥羽上皇の父、白河院の子)と疑われたり、
皇后美福門院(徳子)を呪詛したという噂をたてられるなど、
かわいそうな人生を送られています。
42歳で出家、3年後には逝去しました。
その時、鳥羽上皇が看取り、号泣したという話も伝えられており、
本当に叔父子と疑われてたら、そんな行動もしなさそうですよね。
後に崇徳天皇は配流になってしまいますが、
それでもこんな風に立派に祀られているのをみると、
やはり愛されていたんだろうなと思いました。
ちなみに皇后美福門院は、高野山陵に眠っています。
さすが、とても整備されていました。