北野天満宮の宝刀展&梅苑へ行ってきました。
一番の目的はこの鬼切丸。美しい~。
鬼切丸は、渡辺綱が羅城門の鬼をやっつけたことで有名ですね。
子供のころ、このお話が好きで、よく読んでました。
楠桂さんの「鬼切丸」も読んでいただけに・・w
時代によって、「髭切」「獅子ノ子」「友切」と名前が変わっているという珍しいのだそう。
携帯のカメラなら、写真OKっていうのがまたうれしい。
案内版によると、
「太刀 銘安綱
-鬼、髭切、獅子ノ子、友切
刃長 84.4cm、反り 3.69cm、元巾 3.1cm
切先長 86cm、茎長 24.6cm、茎反り 0.46cm
平安時代に源義仲が作らせたとされる刀。元は「髭切」という名であった。罪人を試し切りした際、髭まで切れたと伝わるのが名前の由来。源頼光の時代に配下の渡辺綱が一条戻橋で鬼の腕を斬ったことから「鬼切」と名前を改めた。また源平合戦において源氏を勝利に導いた刀と伝わり、鎌倉幕府成立後は将軍家の宝刀として洛中の霊社に奉られた。源氏隆昌を担った宝刀である。幕府滅亡後、新田義貞、足利尊氏に伝わり将軍家の宝刀とされ、そして斯波一族の最上氏へと伝わった。有志により北野天満宮に奉納され、現在にまで至る。
これほど名前を変える刀も珍しい。伯嘗国安綱作「太刀銘安綱」(鬼切)である。源頼光が所有していた伝説があり、最上家に伝来していた刀であるが、「安綱」という銘が後に「國綱」へと改鼠された経緯があり、非常に複雑な経歴を持つ。平安時代に一条戻橋で鬼の腕をきったことから「鬼切」と名を改めた。源為義の時代には、夜になるとまるで獅子の鳴き声をあげるため「獅子ノ子」と、それ以外にも「友切」とも呼ばれていた。源義朝の時代、源氏は戦に負け続けていたが、八幡大菩薩のお告げで、「友切」をもとの「髭切」へと戻すよう助言されると、義朝の子頼朝が源平合戦で勝利に、鎌倉幕府をつくるきっかけとなった。」
この文で、少し気になる点がある。
何で読んだか今は思い出せないので、思い出したら記載しますが、
頼朝は、父義朝から源氏の惣領の象徴である源太衣という鎧と髭切丸という太刀を譲られましたが、1160年2月に平家に捕まり、伊豆へと流されます。その時にもちろん家宝も奪われてしまいます。
なので、挙兵し、鎌倉幕府設立の時には持っていないはず・・。
もうひとつの目的はこれ、月山貞勝謹作の太刀。
宝飾がすばらしい。
平家重代の宝刀「小烏丸」と造込が似ていることから、
小烏丸造りと呼ばれています。
鞘は金梨子地鶴文螺細蒔絵、各金物は金銅忍冬唐草文透し、
真珠・珊瑚・水晶・孔雀石がはめ込まれています。
他、紹介するときりがないので、省略。
ぜひ見に行ってみてください!
そのあとは梅苑へ。
少しだけ咲いていました。
梅こぶ茶と寒紅梅を頂きました。
今日のお気に入り写真w
帰りにあわ餅を食べてきました。
久しぶりに食べました~。
ふわふわでとろけます。おいしっ。