安楽寿院の西側には、復元庭園というのがあります。
鳥羽離宮界隈で発掘された石が置かれています。
1.安楽寿院出土
2.成菩提院濠跡出土
3-5 金剛心院跡 緑色片岩
4.勝光明院 阿弥陀堂跡出土
5.南殿跡出土
撮影できそうなものだけ撮ってみました。
本御塔。
三如来石仏。
これも平安時代の貴重な遺仏といわれている三尊石仏。
薬師三尊、釈迦三尊、阿弥陀三尊の三体が江戸時代に成菩提院跡から出土したと伝えられています。このうち、阿弥陀三尊像は京都国立博物館に屋外展示されています。
三宝荒神社
これ、よく見ると社が二重になっています。
荒ぶる神を閉じ込めるためでしょうか。
大師堂
阿弥陀堂、鐘楼
中は入れませんが、門からちらっと見ることはできます。
石碑は、明治天皇御小休所安楽寿院 と書かれています。
以下、看板より。
「安楽寿院は、真言宗の寺で、保延3(1137)鳥羽離宮の東殿を寺に改めたことにはじまります。開基は鳥羽上皇、覺法法親王を同志に落慶した。
保延5年(1139)本御堂(ほんみどう)と呼ばれる三重塔が建立され、続いて九躰阿弥陀堂、焔魔堂、不動堂等が建てられた。
保元元年(1156)鳥羽法皇(上皇)が本御塔に葬られた。鳥羽天皇安楽嘉院陵はそのあとである。
保元二年(1157)、皇后美福門院は新御塔を建立、ここは後に近衛天皇の遺骨が納められた。近衛天皇安楽嘉院南陵がそれであり、現在の多宝塔は慶長11年(1606)豊臣秀頼により、片桐且元を普請奉行として再興されたものである。
現在の安楽寿院は真言宗智山派に属し、本尊阿弥陀如来座像(重要文化財)は鳥羽上皇の御念寺仏と伝えられ、胸に卍が記されているため卍阿弥陀とも呼ばれる。境内は京都市史跡に指定され、平安時代の三尊石仏、鎌倉時代の石造五輪塔(重要文化財)、冠石が現存し、孔雀明王画像、阿弥陀聖衆来迎図、普賢菩薩画像(いずれも鎌倉時代、重要文化財等)を所蔵する。 なお、当院は鳥羽伏見の戦いのおりには官軍(薩摩軍)の本営となったところである。」
近衛天皇安楽寿院南陵
突如、塔が現れてびっくりします。