参考:日文研 花洛往古図(内容年代:平安時代末期-鎌倉時代)
平安時代の地図を現代の地図に置き換えるとこんな感じになります。
赤丸が史跡のあるところです。
六勝寺は、天皇や中宮の発願で、白河(現左京区岡崎)の地に建立された6つの寺院です。平安京創生館(丸太町七本松西、京都アスニー1階)には、法勝寺復元模型が展示されています。
これもまだ見に行けていないので、近いうち行きたいです。
法勝寺(ほっしょうじ)白河天皇御願。承暦元(1077)年落慶供養。
尊勝寺(そんしょうじ) 堀河天皇御願。康和4(1102)年落慶供養。
最勝寺(さいしょうじ) 鳥羽天皇御願。元永元(1118)年落慶供養。
円勝寺(えんしょうじ) 鳥羽天皇中宮待賢門院藤原璋子御願。大治3(1128)年落慶供養。
成勝寺(せいしょうじ) 崇徳天皇御願。保延5(1139)年落慶供養。
延勝寺(えんしょうじ) 近衛天皇御願。久安5(1149)年落慶供養。
東山仁王門から東に行った疎水の角からスタート。
ほぼ疎水沿い、二条通沿いに集中しているので回りやすいですね。
●延勝寺
案内板は・・ほとんど読めませんでした^^;
ちょうどこのあたりにありました。
みやこめっせの西門にも石碑があります。
●成勝寺
●円勝寺
今の京都市美術館あたりにありました。
これがわかりにくかった・・。
バス停の植え込みと同化してました。
植え込みの裏側にある階段(京都市美術館の入り口はいると左奥)を登るともう一つあります。
円勝寺発掘調査記念碑です。
●最勝寺
これは今の岡崎公園あたりにありました。
石碑はなかったです。
●尊勝寺
京都市美術館別館の前にあります。
●白河院址
白河院は、もと藤原良房の別荘白河別業で、藤原氏北家に代々継がれていましたが、藤原師実の時に白河天皇に献上され、承保2年(1075)白河天皇によってこの地に法勝寺が建立されました。
法勝寺は、尊勝寺、最勝寺、円勝寺、成勝寺、延勝寺とともに六勝寺とされました。
広大な寺で、五大堂、八角堂、常行堂などの諸堂が並び、池の中島には高さ約80mの八角九重塔があったといわれています。
文治元年(1185)の大地震で塔以外の大半が崩壊、承元2年(1208)の落雷で塔も焼失。この時は栄西禅師が大勧進となって一部再建しました。
康永元年(1342)の火災で焼失し、その後衰退し、廃寺となりました。
花落往古図では、関白頼通公別荘となっていますね。
宿泊・宴会施設になっていますが、庭園は自由拝観できるようです。
みればよかった・・。
このあたりに法勝寺があったわけですね。
二条通の北側に残る、金堂の基壇址です。
●得長寿院址
このあたりにありました。
平忠盛が造営した観音堂には、十一面観音や等身聖観音千体が安置されており、現存する蓮華王院(三十三間堂)と同規模の建築であったようです。
白河殿はこちらをご覧ください。