京都散歩道

数年前、某SNSで活動していた「京都散歩道」。このたびブログにて復活しました。京都をいろいろ巡っていますので、少しずつご紹介していけたらと思います。最近は平安京巡りにはまり中。過去のデータを移行したら、写真が一部見れないので、また修正します!まとめサイト等、他サイトへの文章・写真の転載はお断りします。

平安時代、岡崎周辺2(熊野神社)

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参考:日文研 花洛往古図(内容年代:平安時代末期-鎌倉時代

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東大路通り、丸太町通りの交わる西北角に熊野神社はあります。

祭神:伊弉冉尊(いざなみのみこと)

   伊弉諾尊(いざなぎのみこと)

   天照大神(あまてらすおおみかみ)

   速玉男尊(はやたまのをのみこと)

   事解男尊(ことさかのをのみこと)

 

看板によると・・

平安時代の弘仁2年(811)に修験道の日圓上人が国家守護のため、

紀州熊野大神を勧請したことに始まるといわれています。寛治4年(1090)に創立された聖護院は、当社を守護神として別当職を置いて管理されました。

平安末期、後白河法皇は度々熊野御幸を行うとともに、当社を厚く崇敬し、紀州の土砂や樹木を用いて社頭の整備に力を注ぎました。

室町時代には足利義満から広大な社地を寄進され、社域は鴨川に至るものとなった。その後も歴代天皇に崇敬され庶民の信仰も集めたが、応仁の乱より荒廃した。

江戸時代の寛文6年(1666)、衰微を嘆いた聖護院宮道寛法親王によって再興され、天保6年(1835)には大修造が行われました。

現在の本殿はその時に下鴨神社の旧神殿を移築したものです。」

 

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手水舎がなぜか、鳥居くぐって右にそれたところにあります。

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狛犬の左側は、角みたいなのが見えます。

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祭神:神倉神、須賀大神、春日大神

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祭神:稲荷大神、金刀比羅大神

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古事記によると、八咫烏(やたがらす)は、熊野の先には反抗する神がたくさんいるからと、天の高御産巣日神(たかみむすひのかみ)が遣わした熊野神社への案内役。

サッカー日本代表のシンボルでもありますね。

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ここは八ッ橋の発祥の地でもあります。

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西尾為治の銅像

明治12年(1879)聖護院村の八ッ橋屋に生まれ、八ッ橋の発展に力を注いだそうです。