参考:日文研 花洛往古図(内容年代:平安時代末期-鎌倉時代)
祭神:伊弉冉尊(いざなみのみこと)
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
天照大神(あまてらすおおみかみ)
速玉男尊(はやたまのをのみこと)
事解男尊(ことさかのをのみこと)
看板によると・・
「平安時代の弘仁2年(811)に修験道の日圓上人が国家守護のため、
紀州熊野大神を勧請したことに始まるといわれています。寛治4年(1090)に創立された聖護院は、当社を守護神として別当職を置いて管理されました。
平安末期、後白河法皇は度々熊野御幸を行うとともに、当社を厚く崇敬し、紀州の土砂や樹木を用いて社頭の整備に力を注ぎました。
室町時代には足利義満から広大な社地を寄進され、社域は鴨川に至るものとなった。その後も歴代天皇に崇敬され庶民の信仰も集めたが、応仁の乱より荒廃した。
江戸時代の寛文6年(1666)、衰微を嘆いた聖護院宮道寛法親王によって再興され、天保6年(1835)には大修造が行われました。
現在の本殿はその時に下鴨神社の旧神殿を移築したものです。」
手水舎がなぜか、鳥居くぐって右にそれたところにあります。
狛犬の左側は、角みたいなのが見えます。
祭神:神倉神、須賀大神、春日大神
祭神:稲荷大神、金刀比羅大神
古事記によると、八咫烏(やたがらす)は、熊野の先には反抗する神がたくさんいるからと、天の高御産巣日神(たかみむすひのかみ)が遣わした熊野神社への案内役。
サッカー日本代表のシンボルでもありますね。
ここは八ッ橋の発祥の地でもあります。
西尾為治の銅像。
明治12年(1879)聖護院村の八ッ橋屋に生まれ、八ッ橋の発展に力を注いだそうです。