今日は夏越しの祓です。
旧暦で、1-3月が春、2-6月が夏、7-9月が明、10-12月が冬となります。
6月末に夏を超えるので、夏越しの祓といいます。
平安時代、陰陽師が個人を対象に執り行ったもので、茅輪くぐりや人形に穢れを移して、河川に流すなどして、半年の穢れを落とす行事です。
今年は、嵐山にある野々宮神社に行ってきました。
竹林を抜けていくところで、紫陽花がとてもきれいに咲いていました。
正直・・ものすごーい人です。
その合間を縫って撮りました。
前はほぼ1月に1度くらい嵐山に行っていたんですが、
観光客が増えたということで、行かなくなっていました。
本当に外国人ばっかりになりましたね、びっくりです。
人が集まっているところが野々宮神社です。
こちらの鳥居は、黒木鳥居といいます。
「樹皮のついたままの鳥居のことで、鳥居の形式としては極めて原始的日本最古のものです。当社は従来より鳥居の用材にくぬきを使用して、三年ごとに建替をしてきましたが、近時鳥居に適するくぬきが入所困難となってまいりました。そこでなんとか昔の面影を残したいと考えておりました処、幸いにも香川県高松市の日本興業株位s樹会社より事前の木の鳥居の寄進をうけ、このたび建立の運びとなりました。
このくぬきは全社が徳島県剣山の山麓より切りだし防腐加工を施し、奉製をされたものです。また鳥居の両袖の小柴垣はくらもじを用い、源氏物語をはじめ謡曲、和歌、俳句などにもあらわされた黒木の鳥居と小柴垣の遺風を残したものであります。(平成五年四月)」
案内板によると
「伊勢の神宮に奉祀する内親王が潔斎のため移住された跡で、今三つの祠があり、中央に天照大神を祀り、左右に愛宕、弁財天神を祀っている。
歴代天皇は未婚の皇女を神宮に奉仕せしめられ、これを斎宮といった。斎宮に立たれる肉親王は、まず皇居内の初斎院で一年余り潔斎されてからこの野宮に移り、三年間の潔斎の後、初めて伊勢に向かわれたが、その時の行列を斎王群行といった。斎宮は垂仁天皇の時に皇女倭姫命をして奉仕せしめられたのが始まりで、その後北朝時代(四世紀後半)に廃絶した。」
本殿:野々宮大神(天照皇大神)
さらに右手へ・・。
ちょっとしたお庭がとっても綺麗でした。
摂社:大山弁財天
一番奥が何も書いていませんでした。
方角がふたつとも違うのも気になります。
野宮の 竹美しや 春しぐれ
古郷
斎宮旧趾(さいぐうきゅうし)
伊勢神宮に奉仕する未婚の皇女・王女を斎院といい,伊勢に下向するまでの間に斎院が潔斎し常住した場所を、斎宮と呼びました。平安京の外にある斎宮は「野宮」とも呼ばれます。ただ、院が選ばれるごとにその場所を選びなおすので、現在でも野宮の跡と伝えられる場所が何か所かあります。
裏を見ると、皇紀二千六百年記念とありました。
本殿向かって左手は、野々宮大黒天
神石(亀石)
私も一応なでなでしてきました。
井戸:龍神
この井戸に静まる竜神の大神は健康長寿・病気全快の神様です、とありました。