京都散歩道

数年前、某SNSで活動していた「京都散歩道」。このたびブログにて復活しました。京都をいろいろ巡っていますので、少しずつご紹介していけたらと思います。最近は平安京巡りにはまり中。過去のデータを移行したら、写真が一部見れないので、また修正します!まとめサイト等、他サイトへの文章・写真の転載はお断りします。

【総まとめ編】祇園祭 武具飾 7月16-17日

 

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毎年7月16、17日には、

東山区弓矢町で武具飾が町内で飾られて、見ることができます。

この武具飾りも祇園祭と関係があります。

場所は、建仁寺の南側あたり、松原通大和大路通になります。

 

この弓矢町では、1974年(昭和49)まで、

神幸祭に武者行列を出していました。

具足をつけた甲冑姿の武者約30人が供奉し、弦召(つるめそ)と呼ばれていたそうです。これは、弓や弦を作って「弦召せ」といって売り歩いたことから由来しています。

江戸時代から、<露払い>と警護係りを兼ねて、中御座神輿の先導を努めていました。維持費と若者が減ったことから行列を中止されたそうです。

弓矢町町家の「弓箭閣(きゅうせんかく)」には、

その時に使った甲冑が14領(体)残っています。

これを町内で飾っています。

 

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松原通。まずは一番西にある、高橋家(左)、田治家・中川家(右)へ。

一度通り過ぎてしまったので、東から西に向いて撮影しています・・。

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天印、信印。二体ならんでいるんですが、

ガラス越しで反射してしまうので一体ずつ。

赤い腰巻?が目に止まりますね。

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続いて、松壽軒(田治家)さんへ。

高台寺建仁寺御用達の和菓子屋さんです。

こちらはお店があいていたので、お話も聞くことができました。

なんとこちらの御主人、若いときに、実際にこの鎧を着て行列に参加していたのだそう。その写真も見せていただきました。

写真も撮らせていただきましたが、許可を得ていないので控えます。

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なかなか立派ですよね。

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続いてお隣の中川家の智印。

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こちらの足元の着物の柄がとても鮮やかできれいでした。

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大和大路通りを渡ると、田中家、南條家(左)、佐々木家(右)があります。

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田中家の義印。

ガラス越しなので、どうしても反射してしまいます。

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兜、かっこいいですね。

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こちらも足元の着物の柄がきれいでした。

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続いて南條家の寿印。 

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 こちらもきれいですね。

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こちらは佐々木家の福印です。

ガラス越しで反射するため、全体像は撮れず・・。

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足元はこんな感じです。

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浅子家の禮印。

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岡部家の花印。

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兜の貝がユニークです。

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足元も華やか!

 

残念ながら、山中家の仁印だけは見れませんでした・・。

どうも閉まってたみたいです。

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最後の弓箭閣はちょっとわかりにくくて、うろうろしてしまいました。

この愛宕小路をまっすぐいくとあります。

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弓箭閣にあった資料に、「祇園祭行列次第」というのがありました。

その中の7月17日神幸祭に武者のことが書かれています。

 

●中御座 

先導、大太鼓、宮本組長旗、武者武者武者武者武者、高張、豊園泉正寺榊組供奉役員、宮本組旗、朱金棒、高張、勅板、朱傘、幸鉾、楽人一鼓、笙、蓽篥(しちりき)、横笛、荷太鼓、荷鉦鼓、御鉾、御楯、朱傘、御弓、朱傘、御矢、朱傘、御剣、朱傘、御琴、朱傘、御翳、御錦蓋、鸞鳥、御翳、御菅蓋、高張、宮本組供奉役員、麻裃、相引提灯、上久世旗、先導役員、竹曳、高張、駒形稚児、朱傘、唐櫃、國中神社神職、朱傘、上久世役員、高張、権禰宜、朱傘、提灯、三若神輿会旗、三若神輿会役員、中御座御神輿、三若輿丁、高張、宮司、朱傘、提灯、高張、朱金棒、清々講社旗、清々講社幹事、豊園、開智、教業、乾、本能、明倫、柳池、銅駝、朱雀、六原、釣台、押

●東御座

先導、太鼓、高張、権禰宜、朱傘、提灯、四若神輿会旗、東若御座御神輿、四若輿丁、四若神輿会役員、東御座御神輿、四若輿丁、高張、権宮司、朱傘、提灯、高張、朱金棒、清々講社旗、清々講社幹事、成徳、清水、有済、格致、郁文、釣台、押

●西御座

先導、太鼓、高張、権禰宜、朱傘、提灯、錦神輿会旗、錦神輿会役員、西御座御神輿、錦輿丁、高張、権宜、朱傘、提灯、高張、朱金棒、清々講社旗、清々講社幹事、立誠、初音、城巽、竜池、新道、生祥、日彰、永松、有隣、釣台、押

 

武者がいるのは、神幸祭の中御座神輿(素戔嗚尊)だけです。

東御座神輿、西御座神輿はあっさりしていますね。

これを見ると、今のはずいぶん寂しくなりましたね。

 

ちなみに還幸祭の行列は以下の通りです。

●中御座

先導、大太鼓、朱金棒、宮本組長旗、高張、勅板、朱傘、幸鉾、楽人一鼓、笙、蓽篥(しちりき)、横笛、荷太鼓、荷鉦鼓、御鉾、御楯、朱傘、御弓、朱傘、御矢、朱傘、御剣、朱傘、御琴、朱傘、御翳、御錦蓋、鸞鳥、御翳、御菅蓋、宮本組旗、宮本組供奉役員、麻裃、相引提灯、上久世旗、先導役員、竹曳、高張、駒形稚児、朱傘、唐櫃、國中神社神職、朱傘、上久世役員、高張、権禰宜、朱傘、提灯、三若神輿会旗、三若神輿会役員、中御座御神輿、三若輿丁、高張、宮司、朱傘、提灯、高張、朱金棒、清々講社旗、清々講社幹事、豊園、開智、教業、乾、本能、明倫、柳池、銅駝、朱雀、六原、釣台、押

●東御座

先導、太鼓、高張、権禰宜、朱傘、提灯、四若神輿会旗、東若御座御神輿、四若輿丁、四若神輿会役員、東御座御神輿、四若輿丁、高張、権宮司、朱傘、提灯、高張、朱金棒、清々講社旗、清々講社幹事、成徳、清水、格致、郁文、有済、釣台、押

●西御座

先導、太鼓、高張、権禰宜、朱傘、提灯、錦神輿会旗、錦神輿会役員、西御座御神輿、錦輿丁、高張、権宜、朱傘、提灯、高張、朱金棒、清々講社旗、清々講社幹事、立誠、初音、城巽、竜池、新道、生祥、日彰、永松、有隣、釣台、押

 

なぜ神幸祭だけなんでしょうね?

 

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御使武者印(カタログは間違っていたそうです)

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大将

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御使武者印。

続いて2階へ。保管されている資料や武具類、地図などがたくさんありました。武者行列の写真も見ることができます。

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松印。着いたときはまだ準備中でしたが、資料など見ていたら完成!

貸切状態で見せていただきました。

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なかでも私が一番惹かれたのが、「祇園守箱」

何を入れていたのか聞いてみましたが、わからないとのこと・・。

残念。

ちなみに祇園守とは、八坂神社のお守りのこと。

 

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こういう祇園守紋というのがあります。

クロスした筒が描かれています。

まさにこれのことですよね。

ほんと何が入っていたんだろう?

とっても気になります。

 

この紋が書かれたもの(のれんとか?)があるそうですが、

市内でいまだ見つけられていません・・。

見つけた方、ぜひ教えていただきたいです。

 

私が祇園守のことを初めて知ったのは、高田崇史先生の本です。

どれに書いてあったのか忘れてしまいましたが^^;

ご興味がありましたら、読んでみてください!