この日は、三条烏丸から東山へぶらり。
なんとなく歩いてしまいました。
撮りなおそうと思っていた辨慶石。
これは麩屋町通と御幸町通の間位あたり、よーじやカフェ三条店の隣のビルにあります。弁慶石町になります。
西側には、
此石ノ由来ハ山州名跡志巻ノ十七ニ詳記アリ
と書かれています。北側は読めませんでした・・。
辨慶石の由来
「この石は弁慶が熱愛したと謂はれ、辨慶は幼少の頃三条京極に住み死後この石は奥州高館の辺にありました。発声鳴動して「三条京極に往かむ」といい、その在所には熱病が蔓延したので土地の人が恐怖し享徳3年(約500年前)三条京極寺に移し以来当町を弁慶石町と稿するに至りました。
その後市内誓願寺方丈の庭に移りましたが、明治26年3月町内有志者により当町引き取られ、昭和4年7月12日この場所に建立されたものであります。」
てっきりずっとここにあったのだと思っていたら、もともと奥州からこの地にきたのですね。それにしても熱愛って・・?
三条寺町あがった東側天性寺に、辨慶の住居跡があるようです。これも気づかなかったなぁ。本当に何度も通ってるのに・・。
ランチを求めて、本当はこの隣に行こうと思ったら・・混んでいたのでやめて、CINQという店に行ってみました。
旅館なんですね~。雰囲気もなかなか素敵でした。
ハンバーグが売り切れだったので、豚肉のカレークリーム煮にしました。ものすごく柔らかくておいしかったです!
(いわずもがな、もうひとつは日本橋)
当時この界隈は、とても賑わっていました。
こちらも改め撮りなおしたかったw
道中安全祈願
ふれあいの弥次喜多さん
旅は道づれ世は情
道中安全願いつつ
ふれて楽しい
旅のはじまり
三条小橋商店街
2人が旅している感じに撮りたかったw
高山彦九郎 皇居望拝之像
三条大橋を渡って見えてくるのが、ひときわ大きなこの像。
なんで土下座??と最初はびっくりしました。
高山彦九朗正之(1747~1793)の姿を写したものだそうです。
「群馬県の出身で18歳の時以来、前後5回上洛したが、京都に出入りする折には、京都御所に向かって拝礼しました。
その姿は、
大御門 その方向きて橋の上に 頂根突きけむ真心たふと
と橘曙覧(たちばなあけみ)により和歌に詠まれた。
明治維新を成就した勤王の志士たちは、彦九朗の心の鑑と仰いだといわれる。後、明治の中頃の俚謡、サノサ節には、
人は武士 気概は高山彦九朗
京の三条の橋の上 遥かに皇居をネ伏し拝み
落つる涙は鴨の水 アサノサ と謡いつがれた」
こんな歌碑もありました。
寛政三年三月十五日
恐れみおそれみつつしみ謹みてよめる
われをわれとしろしめすぞや
すめろぎの玉のみ声のかかる
島津紋?と思ったけど、関係はよくわかりません。
地図とも見比べ。確かに御所の方角を向いていました。