行けてなかった最後の大将軍神社にやっといってきました。
市バスの一日乗車券を駆使して、大徳寺から北山通りを超えた大宮交通公園で降りて、そこから徒歩15分ほどでしょうか。
由緒書きには、
「推古天皇17年(約1300年前)の西賀茂にあった瓦窰(かわらがま)で働いていた人々の瓦屋寺の鎮守様として建立されたと伝えられ、桓武天皇平安遷都(約1200年前)にして皇都の四囲に大将軍神社を祀られて、当神社を北方の守護神とされたと伝えられている。その後今日までこの土地の氏神様として鎮座されている。」
一瞬入るのを躊躇した入り口でしたが、いったん入るとそれほど澱みはなかったです。
本殿。
祭神は磐長姫命(いわながひめのみこと)
天正19年(1590)賀茂別雷神社摂社片岡社の御本殿として建立され、寛永6年(1630)賀茂社御造営のおりに譲り受けたもので、流れ造社殿としては日本で最も古い賀茂社の御建物で、昭和60年に京都市指定文化財に指定されているそうです。
東側には
片岡神社 事代主神(ことしろぬしのかみ)
貴船神社 高龗神(たかおかみのかみ)
稲荷神社 宇気母智神(うけもちのかみ)
角社(すみやしろ) 素戔嗚尊(すさのおのみこと)
4社が祀られています。
一番右の大きいのが、角社です。
その北側には祓い所でしょうか?
西側には、
愛宕神社 火之迦俱土神(ほのかぐちのかみ)
八幡神社 應神天王(おうじんてんのう)
春日神社 天兒屋根命(あめのこやねのみこと)
頂いた栞には、両方大山咋神になっていました。
境内には朱色の玉垣で囲われた場所が3か所あります。
数百年繁茂した大木が倒れた後、その根元に種が落ち、自然に成長した実生の木なのだとか。
ところで、この神社は、
日文研 花洛往古図(内容年代:平安時代末期-鎌倉時代)にも載ってないんですよね。
平安時代の守護とされたのなら、載っていないのが不思議で仕方ない。
なんで大将軍なのに違うんだろう・・??
また次に、総まとめをしてみたいと思います。
ところでこちらの例祭もちょっと変わっています。
七人の未婚女性を選び、神饌物を御舟にいれ、頭に頂いて運びます。
そして宮詣が神饌物とそれを運ぶ乙女を警護するんだとか。
なんだか・・神への生け贄に思えてしまうのは気のせいでしょうか。