京都散歩道

数年前、某SNSで活動していた「京都散歩道」。このたびブログにて復活しました。京都をいろいろ巡っていますので、少しずつご紹介していけたらと思います。最近は平安京巡りにはまり中。過去のデータを移行したら、写真が一部見れないので、また修正します!まとめサイト等、他サイトへの文章・写真の転載はお断りします。

伏見稲荷御旅所、平重衡受戒の地石碑

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ついでだったので、伏見稲荷の御旅所も通り過ぎてきました。

神様は今はいないからお参りはしていません。

またこちらに来られるときに来たいですね。

なんか・・いつも行きそびれているんです^^;

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たまたま地図で見つけて、こんなところにあった??と気になって見に行こうと思っていました。

八条油小路の西南角にあります。

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法然上人と重衡受戒

平家物語巻十の戒丈に、一ノ谷の合戦にて囚われの身となった平重衡が、鎌倉へ送られるまで八条堀川の御堂に据えられたとある。その時重衡は法然上人にあって死後のことを相談したいと、守護にあたる土肥次郎実平へ願い出た。その願いに応えられ、法然上人は八条堀川の御堂に居る重衡のもとへ赴かれ、浄土宗の教えを説かれ、戒を授けられたのである。これが浄土宗の宗教教誨のはじまりである。浄土宗教誨師会」

比較的新しい石碑のようですね。

 

『源平1000人』によると、平重衡(清盛の息子)は、誰からも愛された気さくな人柄だったようです。連勝連戦で活躍しましたが、一ノ谷で生け捕りされ鎌倉に連行されますが、頼朝の前で、「敵に捕らわれたことは恥ではない。早く斬罪にせよ」と言い、御家人たちを感動させたといわれています。頼朝もその重衡の器量に心を打たれたとか。その後鎌倉で軟禁状態となり、一年後、東大寺の大衆に引き渡されて斬首されました。首は奈良坂に晒されました。