下鴨神社へ行くのも通例。
こちらの絵馬がが楽しみでw
いつも本当に美しいです。
まずは御本殿へ。
そういえば、ちゃんと神様のこと勉強していなかった・・と思って、
改めて確認しました。
人で埋め尽くされているので、写真は省略しますが、
御本殿の祭神は、
西殿:賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)
東殿:玉依姫(たまよりひめ)
玉依姫はその子供になります。詳しくは、こちらをどうぞ。
さらに、干支の社があります。いつも干支しか気にしていなかったので、いったい誰をお参りしていたのだろう・・とふと疑問になりました。
ね 大国主神(おおくにぬしのかみ)
うし・ゐ 大物主神(おおものぬしのかみ)
とら・いぬ 大己貴神(おおなむちのかみ)
う・とり 志固男神(しこおのかみ)
たつ・さる 八千矛神(やちほこのかみ)
み・ひつじ 大国魂神(おおくにたまのかみ)
うま 顕国魂神(うつしくにたまのかみ)
あれ・・?
これ、全員同じ神様じゃないですか。
全部、大国主命の別名ですね。
下鴨神社のホームページによると、正式名は言社というそうな。
こちらもどうぞ。
唐門
唐門 江戸時代寛永5年造替
「屋根の唐破風の形式からその名があります。また欄間に葡萄の紋様が彫刻されていることからブドウ門とも呼ばれています。『古事記』や『日本書紀』に伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が黄泉国から逃げ帰られたとき、追いかけてきた鬼に髪飾りを投げつけると、エビカズラの実に変わったとの神話があります。エビカズラは、野生のブドウのことで、『源氏物語』などに、えび色(ブドウ色)と記しています。また平安時代は、薬草の一種とされていました。ブドウ棚の紋様は我が国独自の意匠であり、神話が伝えているように門をくぐる人々をお祓いする意味を表しています」
と書かれています。
確かに葡萄ですw
三井神社 江戸時代寛永6年造替
東社 伊賀古夜日売命(いかこやひめのみこと)
中社 建角身命(たけつぬみのみこと)
『風土記』山城国賀茂社の条に「蓼倉里三身社(たでくらのさとみつみのやしろ)」、『延喜式』に「三井ノ神社」とあります。奈良時代から平安時代にかけてこの辺り一帯は蓼倉郷と呼ばれていました。三身社とは御本宮の建角身命とその妻、伊賀古夜日売命、その子玉依媛命のことであり、三神がまつられています。
西側の末社
諏訪社 建御方神
小杜社 水分神
白髭社 大伊之伎命 別名猿田彦神
「平安時代の当神社社頭絵図「鴨社古図」に描かれている神社です。各社の位置は現在なおわかりません。これらの神社は糺の森を禁足地とし、御社殿前の斎庭が葵草と苔庭など自然の中にまつられる、古代神社の姿を伝える貴重な神社です。
拝殿をはじめ棟門などすべてが重要文化財となっています。」
大炊殿は公開しているので見ることができます。
御井(みい)
「神饌の御水や若水神事など御水の祭事が行われる所。井戸の井筒を井戸屋形。上屋を井戸屋と呼び、全体を御井と称している。
井戸屋の前に「水ごしらえ場」がある。式内末刀社の御祭神が御降臨される処との伝承の石(橋と呼ばれている)がある。毎年12月12日には御薬酒神事と若水をくむ古代様式の神事が行われる。」
賀茂斎院御所旧跡 葵の庭(カリンの庭)
「当神社には、賀茂斎院の制が設けられていた。初代の斎王は弘仁元年(810)4月、嵯峨天皇第八皇女有智子(うちこ)内親王がト定された。賀茂斎院御所は、斎王が賀茂祭(葵祭)など年中の重要祭儀に御参向になり、期間中ご滞在になる御所であった。平安時代は御本殿の西より鴨川までが宮城であったことを、「鴨社古図」は伝えている。
建暦2年(1212)9月4日、第三十五代礼子(いやこ)内親王が御退位になるまで約400年間御座所となっていたが、文明の乱の兵火により御所棟をはじめほとんどの殿舎は消失した。その後宮域内の社殿のうち大炊殿と御井が再興された。また、
忘れめや あふいを草に ひき結び
かりねののべの つゆの曙
とうたわれた葉アオイが自生する「葵の庭」も大炊殿の周辺に再顕された。大炊殿では、御薬酒なども調整されていたので、庭にはカリン、ヌルデ、クチナシ、ヤマウコギ、ニシキギなどの薬草が栽培され、特にカリンの古木が有名で「カリンの庭」とも呼ばれている」
と書かれています。
大炊殿
「神饌(お供え)の御料を煮炊きし、調理をする社殿で大炊所とも呼ばれている。入り口の土間に竈(おくどさん)があり、中の間は、お供えの材料や用具を洗ったり、調理する台所。奥の間は盛り付けをし、神前へお供えする順に並べて置く配膳棚が設けてある。
古くはこの社殿では、ご飯、餅、ぶと、まがり(お菓子)など穀物類が調理された。お酒は酒殿。魚且鳥類に贄殿で料理されていたが、文明2年(1470)6月10日乱の兵火によって焼失した。
その後、大炊殿は、現在の場所に再興された。酒殿は退転。贄殿は、供御所の一間に充てられた。」
比良木社
休憩処 さるや
去年はお雑煮をいただいたので、今年は申餅にしました。
下鴨神社の名物で、140年ぶりに復元されたものです。
「明治初年の法令制度化まで葵祭の申の日には、小豆の茹で汁で搗いた御餅が神前に御供され、ほんのりとはねず色に輝くこの御餅のことを都人は「葵祭の申餅」と呼んで親しんでいました。はねず色は、明け方の一瞬、空面が薄あかね色に染まる様子で、命の生まれる瞬間を表すとされています。食べることで身体を清め、元気の気をいただき、無事息災に過ごせるようにとお祈りした故事にならっています。」