京都散歩道

数年前、某SNSで活動していた「京都散歩道」。このたびブログにて復活しました。京都をいろいろ巡っていますので、少しずつご紹介していけたらと思います。最近は平安京巡りにはまり中。過去のデータを移行したら、写真が一部見れないので、また修正します!まとめサイト等、他サイトへの文章・写真の転載はお断りします。

曽祖父の旅路を巡る③ 豊國廟(ほうこくびょう)

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五条坂を下がり、東山七条通りを東へ、京女を越えたところにあります。

これも結構歩く・・。

前から気にはなっていたけど、なかなか行けずにいました。

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階段を上がったら・・

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鳥居があった!

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まだまだ向こう・・。

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ここから、登拝料100円がかかります。

社務所で払っていざ!

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豊国廟(ほうこくびょう)

豊臣秀吉の廟所(墓所

「天下統一を果たした秀吉は、慶長3年(1598)8月18日、伏見城で63歳の生涯を閉じ、遺骸は遺命により、ここ阿弥陀ケ峰に葬られた。翌年4月18日、秀吉は後陽成天皇より、正一位豊国大明神の神位・神号を賜り、山腹には境内域三十万坪、社領一万石を誇る早大壮麗な豊国社が創建された。

以後、毎年4月と8月の18日には勅使や北政所豊臣秀頼の名代を迎え、盛大な祭礼(豊国祭)が執り行われたが、慶長20年(1615)豊国家が亡びると、幕府は豊国社の廃祀を命じ、以後は墓参りする人もなくなった。

現在の廟は明治31年(1898)豊太閤300年祭に際し、豊国会により全国からの募金で整備されたもので、そのとき墳上に高さ約10メートルの巨大な五輪石塔(伊藤忠太設計)が建てられた。

なお豊国神社は明治13年(1880)、方広寺大仏殿跡地に豊国神社として再興されている」

とあります。

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え・・・っと。

いきなり言葉を失う・・。

 登り階段恐怖症の私には、心が折れそうになる階段。

手すりもないとは、きついな。

でも途中、少し平坦なところがあったので、

休憩しつつ上りました。

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上がりきったらあるのかと思ったら・・

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ええ・・まだ階段!?

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ひえぇ・・。

恐怖心と闘いながら、がんばりましたよ。

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ようやく到着して、お参りしました。

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上からの眺め。

昔はもっと違ったのかもしれませんね。

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降りるのは全く問題なし。

なんとか20分で往復できました!

社務所の方に聞くと、結構速い方だそうです。