東京には年何度か行っているので、ついでにあちこち廻ったりしています。
効率よく回りたいので、実はこの三か所(神田明神、将門塚、烏森神社)全部違う日に行っています^^;
将門関係をまとめたくて、ようやく・・です。
ちなみに京都編はこちら。
扁額や由緒書きにもあるように、正式名称は神田神社といいます。
二の宮 少彦名命(すくなひこなのみこと)
三の宮 平将門命(たいらのまさかどのみこと)
ということで、将門は主祭神ではないんですよね。
京都編に記載しているので、省略しますが、
天平2年(730)に大手町・将門塚周辺に創建され、その後延慶2年(1309)に将門公が合祀されました。元和2年(1616)に江戸幕府により江戸城から見て表鬼門守護の地へ遷座しました。
随神門四方の欄間には、四神(東:青龍、西:白虎、南:朱雀、北:玄武)が彫られ、中央には大国主之命の神話が描かれています。
入ってすぐ左手には大きな大黒天。
高さ7m、重さ約30tの日本一大きい大黒天像です。
そしてえびす様
どちらも新しいですね。
御本殿
境内は結構広くて、摂社・末社だけでなく碑もたくさんあり、ぐるっとまわりました。
鉄製天水桶
神田あるいは新川辺りの江戸の酒屋が世話人となり、「摂州灘大石」と「筋違外」の酒屋により、弘化4年(1847)に奉納されたもの。
石獅子
区内に残る数少ない江戸期の石造物のひとつ。
大正2年(1923)の関東大震災で獅子山は崩壊し、子獅子は紛失。親獅子二頭は債権された獅子山に据えられたとのこと。
野村胡堂の『銭形平次捕物控』の主人公平次は、明神下の元の台所町ということになっているそうです。昭和45年建立。
国学発祥の地碑
阿部筲人(しょうじん)の句碑
祖霊社
籠祖神社
完成7年(1796)鎮座。
塩土翁神は、竹工の神、塩の神、又船の神として古事記に、山幸彦が兄海幸彦から借りた釣針を失い、お困りの時、無間勝間の小舟(隙間なく編んだ竹籠の舟)を作り与え、海神の宮に渡りなさいと教え得られた神です。
他、
富士神社 祭神:此花咲耶姫命 このはなさくやひめのみこと、
が合祀されています。
浮世絵系日本画家の水野年方顕彰碑
正六角形の燈籠をかたどった小塔。
三の宮鳳輦奉安庫
末広稲荷神社
祭神:宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
元和2年(1616)頃のもので、社殿は昭和41年に再建。
三宿稲荷神社
祭神:宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
創建不詳。12代神主の邸内に祀られていた内山稲荷と合祀されたそうです。
祭神:大物主命(おおものぬしのみこと)、金山彦命(かなやまひこのみこと)、
天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)
天明3年(1783)に武蔵国豊島郡薬研堀(現在の東日本橋2丁目旧両国町会)に創建。
社殿は昭和41年に再建。
水盤
文化2年(1805)に伊勢屋治兵衛により奉納
浦安稲荷神社
祭神:宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
天正年間(1573~)に勧請、寛政9年(1797)に社殿が造営。
後の戦火で復興できなかった神田稲荷社五社を合祀。
祭神:建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)
大實2年(702)武蔵国豊嶋郡江戸の地(今の皇居内)に創建された大江戸最古の地主の神。
慶長8年(1603)江戸城の拡張により、神田神社と共に神田台へ遷り、更に元和2年(1616)にここに遷座された。
江戸時代中期以降は牛頭天王と称され、明治元年(1868)に須賀神社と改称、更に明治18年(1885)に江戸神社と復称された。
江戸神社本社神輿
昭和33年に作られたもの。
公称台輪四尺三寸、重量千貫で現在日本一の大神輿です、と書いてあります。
力石
若者たちが力試しに用いた石。
伝承の一つとして道切説というのもあり、昔は村々に疫病の侵入を防ぐための神であり、まじない等であったともいわれています。
角田竹冷の句碑
白うおや はばかりながら 江戸の水
祭神:建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)
左右の天水桶は、江戸の問屋仲間のひとつ太物問屋(反物などを扱う商人)仲間が天保10年(1839)に奉納したもの。高さ1.4mで一対のもので、台座は蓮弁を模した形になっています。
祭神:建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)
魚河岸水神社
祭神:弥都波能売命(みつはのめのみこと)
徳川家の武運長久と併せて大漁安全祈願をするために、武蔵国豊嶋郡柴崎村神田神社境内(今の千代田区大手町)に鎮座。
元和年間(1615~)に神田神社と共にこの地に遷り水神社と改称。
明治24年(1891)に魚河岸水神社に改称した。
おみくじが獅子舞なのがかわいい。
神楽殿
神田明神近くの天野屋でほっとひといき。
雰囲気もよかったw
あまざけとぜんざいを頼みました。
疲れていたのもあって、癒されました~。