どうやら裏だったようで。。
この坂は夫婦坂というらしい。
笹塚稲荷神社
本殿
文和4年(1335)湯島郷民の勧請で文明10年(1478)に修建したといわれています。
祭神はもちろん菅原道真
本殿の左側の通路は橋みたいにかかっているのがおもしろい。
撫で牛
宝物殿
絵馬がえらいことに!
こんな風になっているあまりみたことない・・。
泉鏡花の筆塚
ちょっとしたお庭がとても美しかった。
向こうのビルがなければなぁ・・。
たぶん昔はなかっただろうけど。
曽祖父もこれの風景を見たのかなーと思いつつ・・。
奇縁氷人石
うーん、なんだろう?
でも古い感じがしますね。
火伏三社稲荷社
こちらが表鳥居ですね。
扁額がかわいらしい。
ここからずっと南下していきます。
途中に坂がいっぱい。
こちらは実盛坂。
長井斉藤別当実盛が住んでいた場所だそうです。
平家方に味方し、寿永2年(1183)、源氏の木曽義仲と加賀の国篠原の合戦で、手塚太郎光盛に討たれた。
出陣に際して、敵に首を取られても見苦しくないように白髪を黒く染めていたそうな。
湯島の実盛塚や首洗いの井戸の伝説はこの実盛の心意気にうたれて実盛をしのび伝承として残ったのではないか、と書かれています。
南下して寄ったのが神田明神。
それについてはこちらをどうぞ。
さらに南下して、湯島聖堂へ
徳川五代将軍綱吉が、元禄3年(1690)に創建。
孔子を祀る大成殿や学舎を建て、自ら論語の講釈を行うなど学問を奨励したとか。
もとの聖堂は4回の大火や関東大震災で焼失し、昭和10年に再建されたもの。
大成堂
変わった形ですね。
孔子像とかまで見る元気はさすがになく、ちら見だけ。
そしてさらに南下してお茶の水へ
お茶の水の名前の由来ともなっている碑が見たくて。
読みづらいけど・・
慶長の昔に高林寺という禅寺があり、その庭から良い水が湧き上がるので、
将軍秀忠公に差し上げた所でお茶に用いられて大変良い水だとおほめの言葉を戴いた。それから毎日この水を差し上げるようになり、これをお茶の水高林寺と呼ばれ、この地をお茶の水というようになった。
というようなことが書いてあります。
今も水は出ていますが、さすがに飲んでいません・・。
夜は劇団新感線の舞台を見に行きました。
そのため時間を見ながら回っていたんだけど、ほんまによう歩いたと思います。
一応時間通りには回りました!