私の曾祖父の祖父、戒能助次郎は鷹ノ子村に住んでいました。
その次男は別の家に養子に入って跡を継ぎ、景浦家の次女と結婚します。
浄土寺に本家の墓がありますが、この次男と養子先の親以降しかありません。
そして、その子供(曽祖父)が、鷹ノ子の湧出地で温泉宿をしていましたが、のちに倒産してしまいます。
助次郎はおそらく名前から次男だと考えますが、遡れるのはここまでで、その両親も兄弟もわかりません。この助次郎の墓でもあればまた何かのとっかかりになりそうなんですけどね。もしかしたら、この浄土寺のどこかに眠っているのかもしれません。
この戒能と景浦、そして養子先の関係もいまいちよくわからないんですよね。
同じ村に住んでいたから・・という理由だけではないでしょうし。
助次郎から鷹ノ子に来たのか、その前から住んでいたのか・・?
ちなみに景浦はこの鷹ノ子村の有力者だったようです。
ここで、本家の親戚と合流しました。
祖父の弟の子供で、私は直接よく知らないのもあって、従兄と叔父の協力を得ました💦
正式名は、西林山 三蔵院 浄土寺。真言宗豊山派。四国八十八カ所霊場のひとつ。
以下「愛媛県の霊場」より
縁起によると天平勝宝年間に女帝孝謙天皇の勅願寺として恵明上人により開創。本尊は、行基菩薩が彫像した釈迦如来像。鎌倉時代の建久3年(1192)、源頼朝が一門の繁栄を祈願して堂塔を修復した。だが応永23年(1416)の兵火で焼失。文明年間(1469-1487)に領主、河野道宣公によって再建。
扁額は西林山となっています。
石碑はとりあえずチェックです。
仁王門寄付石
金百円 鷹ノ子 景浦廣次郎
金六十円 鷹ノ子 戒能政太郎
金五十円 鷹ノ子 景浦ウメ
金二十三円 鷹ノ子 景浦和三郎
金二十円 ** 高須賀太郎
金十五円 鷹ノ子 景浦通計
** 景浦重政
** 高須賀●吉
** 高須賀三郎
といった文字が読めます。
この中に、曽祖父の名前もありました!(養子先なので書いていません。)
名前の漢字が戸籍とは異なりますが、ただ、珍しい苗字なので、間違いないと考えます。
裏面には大正11年5月とありました。
年代を見ても、曽祖父が46歳頃のことでした。
名前も景浦とかちらちら見えますが、読めませんでした・・。
空也上人像って京都だけじゃなかったんですね!
これみてびっくりでした。
浄土寺では、お墓と過去帳(実際は見られないです。)を確認しました。
そしてこの後、本家に寄り、位牌を見せて頂きました。本家の家の屋根の瓦に家紋があったのもびっくりでした。