さて、いよいよ湯築城内に入ります!
搦手門(からめてもん)
※この写真は城内から外を撮影。前のページに外から撮影したものを掲載しています。
城の裏門になります。河野時代にはどう呼ばれていたかは不明。
江戸時代に書かれた『予陽郡郷俚諺集(よようぐんごうりげんしゅう)』に「東西に門有、城は東表也」と書かれているそうです。
二つの段階の門があり、外堀が薬2mの水路によって続いていた時期は、木橋が掛けられていたようですが、後に水路は埋め立てられ土橋になっています。
門も内側に後退して建てられています。
まずは、湯築城資料館へ。
再現模型・・萌えますw
戒能もこの家臣団居住区に住んでいたのでしょうね。
発掘調査で出土した遺跡
・座敷飾りとして使われた陶磁器
城の年代より200年以上も古い骨董的価値のある「秘色青磁(ひそくせいじ)」と呼ばれ評価の高い高麗青磁などがあります。
道後地区には、縄文時代以降多くの遺跡が分布。
城内の発掘調査でも下層から弥生時代や古代の遺構。遺物が出土しています。
猫の足跡のある皿
かわいすぎます・・。
これは丘陵西側からまとまって出土したものの1点。製作の過程で偶然足跡がついたと推定されていますが、城内から出土したということは、製品として持ち込まれ使用されていたと考えられます。
お茶に関わる道具も多数出土しています。
このころの食生活にも興味津々なので、とても興味深いです。
南側には武家屋敷が再現されていました。
円形石積遺構
井戸や便所として使われたのではないかと思われましたが、穴の底は水の湧く層に達していないとか。また便所であれば寄生虫などの卵が必ず発見されるのですが、土を分析しても見つからず、何の目的で作られたのかわからないのだそう。
丘陵部に鍛冶炉があり、鉄製品を生産していたそうです。
土性人形
頭部がないですが、形態から布袋像と推測されています。
砥石
有名な産地は、長崎の大村砥、熊本の天草砥、群馬の沼田砥、愛媛の伊予砥、愛知の名倉砥、京都の鳴滝砥など。
湯築城跡からは、大村砥、伊予砥、鳴滝砥が出土。
硯
銭貨
さてここから、上級武士居住区・庭園区です。
土坑(ゴミ捨て穴)
長さ約2.5m、幅2m、深さ0.5m。土師質土器の皿や杯が出土しています。