京都散歩道

数年前、某SNSで活動していた「京都散歩道」。このたびブログにて復活しました。京都をいろいろ巡っていますので、少しずつご紹介していけたらと思います。最近は平安京巡りにはまり中。過去のデータを移行したら、写真が一部見れないので、また修正します!まとめサイト等、他サイトへの文章・写真の転載はお断りします。

自分のルーツを辿る26 愛媛旅行23 則之内 安国寺

愛媛旅行3日目は、また神社仏閣巡りです。

 

安国寺 

『川内町誌 第二部三内』P479~、P488~

 

大字 則之内一ヶ谷

寺号 萬松山安国寺
宗派 臨済宗 妙心寺

本尊 薬師如来 釈迦如来(釈迦如来は昭和三十三年に安置)
開山 智覚普明国師
由緒 聖武天皇の建立された国分寺にならって、暦応中(
1338-1341)、足利氏が国毎に一 寺を建立した。『保暦間記』には、暦応元年足利直義が、僧妙超の勧めで光厳上皇に請うて 仏舎利を頒ち、六十六か国に安国利生塔を建立させた。これを安国寺と云う。皆禅宗であ ると。又『当山の記録』では、暦応 2 足利尊氏の開基、智覚普明国師の開山で、足利氏 の祈願所として河野通盛建立すとある。

『豫陽郡郷里諺集』によると、嘉慶 2 年(1338)2 月 28 日、足利義満は安国寺へ余戸 荘(松山市)をはじめ吉原郷地頭職(和気郡)、松崎浜(松前町)を寄進している。 さらに応永 4 年(1397)10 月 18 日の河野六郎通之状によると、余戸荘内にあった大野、森 山両氏の所領を安国寺へ寄進している。

瑠璃宝殿の四字を刻んだ扁額は、鴞苑の筆といわれている。鴞苑は善応寺の名僧で、河野 弾正少弼通直が参禅した人であるという。また、仏殿中央の高机(須弥壇)は、戦同時代河野八郎の寄進されたものだという。

安国寺跡(則之内) 『川内町誌 第二部三内』P551~

大字則之内保免。足利尊氏の創建で、国家安泰の祈願道場として伊豫の国に設けられた一 国一寺。その堂塔は七堂伽藍建ちならび、境域が八町四方もあったという。門が四方にあ り、東、西、南、法界門等であった。現在法界門、乾寧院等の地名が残っている。乾寧院 には、巨松があって伊豫の巨木の番付に載る程であったが、今は見る影もない。昔の安国 寺の井戸があったが、耕作不便のため塞いでしまった(実習地は保免公民館のあるところ)

『伊豫古蹟志』(野田長裕 享和3年=1803年)によると、元和中(1615-1624)に堂舎は 壊されて山になったとある。河野対馬守通盛が三島宮を再建。河野の先祖である小乎益躬 (おちますみ)を祀り、伊与国中八社といった。 『戒能家系譜』よると、戒能家の菩提寺は安国寺で、累代の位牌があり、墓は乾寧院にあったという。〉

 

 

ということで、戒能ゆかりの寺として行ってみました。

天保3年の石灯籠

中庭もあって、広くてびっくり。

戒能の菩提寺だけど、戒能の紋とは異なりますね。

参道?

立派な門がありました。

これはなかなか見事ですね。

井戸?

シロバナタンポポ

日本に古くからあったのがこの白いたんぽぽなんだそう。

黄色のたんぽぽは西洋から来たものなんですね。

おばが教えてくれなかったら、知りませんでした。

高須賀とあったので一応撮影したもの。