続いて、下林の築島神社へ。
先祖とはあまり関係ありませんが、もともと拝志郷一宮の三嶋神社であったことと、古くて興味深かったのと、源頼政ゆかりのところだったから、という理由です^^;
(事前に写真とか由緒書きもチェックしています)
頼政は京都でもゆかりのあるところが多くて、色々回ったり調べたりしていました。思い入れが強くて、しまいには短編小説まで書いてしまいました(笑)
変わった鳥居ですね。
本当に立派!上の方の紋は河野家のですね。
こういうところもよく見ると人の名前が書いてあったりします。
正面から。周囲の鳥居も撮りましたが、新しいので省略。
手水鉢をカエルが支えているのもあまり見たことないですね。
新しいですけどね。
なぜ戸川神社っていう名前なんだろうと調べてみたら、全国的にも雨乞いの神社なんですね。もともと外川とも書いていたみたいですね。場所的にも重信川の近くにあるからでしょうか。
ここの狛犬は玉乗りじゃないですね。
屋根が二重になっています。
下の方は河野家の紋ですね。
由緒書きの下の丸い石がとっても気になってしまいました。
なんなんでしょう??
中がまた素晴らしい!
陸軍大将秋山好古謹書とあります。
秋山好古(あきやまよしふる)は、1859ー1930年の人で、フランスで騎兵戦術を学び、「日本騎兵の父」とも呼ばれ、のちに現愛媛県立松山北高等学校の校長を務めているんですね。
その左も築島神社とあるので、もっと古いのかな?
昭和41年なので新しいですね。
絵を拡大したら大石内蔵助とかあったので、忠臣蔵の様子を描いたものですね
右上の絵は明治45年とあります。神社を描いたもののようですね。
正面は、昭和31年とあります。
生目神社。これも名前が気になる・・。
調べたら宮崎にある「日向の目の神様」として眼病にご利益があるとされているそうです。
もともとは生目八幡宮。伝説がまたすごい。
源氏に捕まった藤原景清は、頼朝に武勇惜しまれ赴任を命じられたけど、源氏の繁栄を見たくないと、自ら目をえぐって空に投げ捨ててこの地におちたとか、ひえっ。
まさに高田崇史氏のQEDシリーズでいう、自分で叶わなかったことを人々に叶えさせてあげようということですね。
でも、こういう意味を知ってから、叶わなかった人にそれを願うのは酷なんじゃないかと思って、願いをいうのはやめました・。
佐古谷池神社。
これも名前が気になって。
近くに佐古池という池があるのですね。平成9年にダムになったみたいなので、そこにあった神社が移設されたのでしょうか。
小槌に米俵、大黒天でしょうか。
忠魂碑
こんなところにも鳥居が!
古そうなので気になって、階段を降りてみました。
これまた古そうな石碑です。
明治17年とありました。思ったほど古くなかった・・
裏門になるのかな
昭和50年
歩いていた方に山ツツジ見ました?と聞かれて、見に行ってきました。
木に屋根??
なかなか見ごたえのある神社でした。