京都散歩道

数年前、某SNSで活動していた「京都散歩道」。このたびブログにて復活しました。京都をいろいろ巡っていますので、少しずつご紹介していけたらと思います。最近は平安京巡りにはまり中。過去のデータを移行したら、写真が一部見れないので、また修正します!まとめサイト等、他サイトへの文章・写真の転載はお断りします。

黒い"気"の記録 2020

忘れた頃にやってくる…この夢💦

また今年もつけてみようと思います。

他のも更新しようと思ってるんだけど、Macに変えてからまだ慣れなくて、もう少し慣れてからになりそうです。写真溜まりすぎてます。

これはいつも目覚めた時にスマホで書いています。

 

1.8(水)

自分の部屋で寝ていたら(しかも向きは今寝ている向きと真逆で西側に頭)、窓の向こうに誰か覗いているような人影が…。

そして、金縛りになり、黒い風がまとわりついてからくる。

声を出そうにも全く出なかった。

1度目、結構早めに外れたと思ったのに、二度目の金縛りに。

その時腕組みしていたので、それが外せなくて困ったけど、逆にその風が腕に防御されて、内側に何度も入ってこようとする風をシャットアウトできたのでよかった。

腕組みは実際もやっていたように思う。

何度か遮ったら、金縛りも解けた。

起きたら2時過ぎだった。

夢の中でも寝ているのが一番気持ち悪いなあ。

そしてこないだ伊勢神宮に行ったばかり。

そんなに嫌な感じはなかったから安心していたんだけど。

 

1.12(日)

今日は夜中全く起きれなかった。

意識は起きてたけど、体が重くて動かなかった。

夢の中で、今の向きに寝ていると、東側から黒い風が私の背中と布団の間を抜けて持ち上げられるような感覚があった。

塩を取って体がに振りかけたけど、変化なかったことも覚えてる。

(夢ではちゃんと立ちあがってた)

昨日、比叡山延暦寺日吉大社近江神宮に行ったけど、

この中だと日吉大社かなあ…。

摂社は神様を確認してお参りしてたんだけど、知らない神様はスルーしたから💦

体が動かなかったのは、さすがに筋肉痛だったからでしょう。



3.16(月)

2時7分。今日のはいつもと異なっていた。

夢の中で寝ていたら、部屋の廊下から(北側)から、何やら黒いのが、まるで生き物のように回転しながらすごい勢いで入ってきて、直径20㌢くらいだろうか、ボールくらいの大きさのものだった。避けようとしても恐怖で体が動かず、それは私の首元から背中に滑り込んできた。

恐る恐る手を伸ばすと、何やら毛のような手触り…。なんとか追い払おうと目覚めた。

そういえば前にも一度こういうのを見た気がする。

今も背中に違和感があるので、塩を撒いておこう…。

起きた時、いつもと違って廊下側を見ていたので、それもぞっとした。一瞬自分が今どこにいるのか分からず呆然として確かめていた。なので、起きてすぐの時間はもう少し早かった。

 

 

聖母女学院(旧陸軍第十六師団司令部庁舎)、師団橋

f:id:kyotomichi:20190505234120j:plain

帰りに聖母女学院前を通ってきました。

ここはもともと陸軍第16師団司令部の庁舎として建てられたものになります。
警備員さんが厳しく見ていてこれ以上撮るのは控えました。

焦ったので、ちょっとゆがんでる・・w

明治41年(1908)に建てられたもので、国の有形文化財となっています。

f:id:kyotomichi:20190505234556j:plain

そしてその横には師団街道があり、師団橋が疏水に懸けられています。

f:id:kyotomichi:20190505235108j:plain

f:id:kyotomichi:20190505235132j:plain

この橋桁には、陸軍のシンボルマークの五芒星があります。

前から見たくてようやく見に行きました。

 

藤森神社から聖母女学院へ行く通り道に「軍人湯」もありました。

奥まったところにあって看板も車に隠れていたので、撮りづらくて・・。

 

藤森祭(深草祭)② 駈馬神事 in藤森神社

 

f:id:kyotomichi:20190505223059j:plain

神輿最後まで見ずに、藤森神社へ移動して、12時に到着!

二列目で場所取りできました。

おすすめは東側(本殿向かって右)です。
駆馬神事は13時からと15時からの2回行われます。

 

駆馬神事の由来

781年、早良親王陸奥の反乱がおこったときに、藤森神社で戦勝祈願して出陣した時の擬勢を象ったもので、京都市の民族無形文化財に指定されています。

馬で疾走しながら、数種の馬術の技を競うもので、江戸時代中期に大陸系の曲芸的な馬術の影響を受けたといわれています。(朝鮮通信使の騎乗術に似たところがあるそうです)

 

明治時代より氏子に引き継がれ、昭和初期までは街道でしていましたが、道路・交通事情により境内参道馬場でするようになりました。

 

 

公式ページより、駈馬の技は7種。

1、手綱潜り    敵矢の降りしきる中、駈ける技

2、逆乗り(地藏) 敵の動静を見ながら、駈ける技

3、矢払い     敵矢を打払いながら、駈ける技

4、横乗り     敵に姿を隠して、駈ける技

5、逆立ち(杉立ち) 敵を嘲りながら、駈ける技

6、藤下がり    敵矢の当たったと見せて、駈ける技

7、一字書き    前線より後方へ情報を送りながら、駈ける技

 

f:id:kyotomichi:20190505231207j:plain

神職、巫女、馬たちがまずこの道を往復します。

f:id:kyotomichi:20190505231438j:plain

f:id:kyotomichi:20190505231601j:plain

f:id:kyotomichi:20190505231648j:plain

f:id:kyotomichi:20190505231707j:plain

馬は全部で3頭ですが、2頭ずつ南に向かって、走るのは本殿へ向かう片道のみ。

『素駈け』といって、何度か技をせずに走らせることで、この場に馬を慣れさせるのですって。

確かに最初は興奮気味でまっすぐ歩けなかった馬さんもいましたが、

何度か通るうちに落ち着いていくように見えました。

f:id:kyotomichi:20190505232101j:plain

刀を口にくわえて走っています。

f:id:kyotomichi:20190505232308j:plain

こちらは花傘を持って走っています。

f:id:kyotomichi:20190505232940j:plain

手綱潜り

決して落ちそうになっているわけではありません。

 

f:id:kyotomichi:20190505232358j:plain

藤下がり。

これが一番大迫力でしたね。

f:id:kyotomichi:20190505232423j:plain

一字書き。

どうやら「令和」と書かれたようです。

放送で「見えなくはない」というようなことを言っていたので、どういう字だったか気になります。

 

他、逆立ち、横乗りがありました。

ちょうど自分の居る少し手前から技を仕掛けるので、

もう少し北にいた方が、技は見やすかったなーと思いました。

そうなると、もっと早くいかないとダメでしょうね。

f:id:kyotomichi:20190505233312j:plain

最後に御本殿へお参り・・えらい人でした。

藤森神社の御朱印帳、

前に来た時もかっこいいなーと思っていたのでいただいてきました♫

 

 

 

藤森祭(深草祭)① 神幸祭 in伏見稲荷

藤森祭は、菖蒲の節句発祥の祭りとしても知られ、家に飾られる武者人形に藤森の神が宿るとされています。

平安時代(863年)、清和天皇の勅命による「深草貞観の祭」を起源とし、武者行列や駈馬神事が行われます。

(あとで菖蒲見ようと思っていたのに、人込みで忘れてしまった・・)

 

藤森神社についてはこちら。

kyotomichi.hatenablog.com

 

藤森祭のスケジュール

4月29日 神輿出し

5月3日 御魂遷し、藤森太鼓奉納、神輿担ぎ

5月4日 宵宮祭

5月5日 神幸祭

還幸祭はないんですね。

 

f:id:kyotomichi:20190505191234j:plain

ということで、9時半頃に伏見稲荷へ到着。

 なぜ藤森祭なのに、伏見稲荷?と思われるかもしれません。

 

もともと伏見稲荷の場所は藤森神社の土地だったこともあって、
昭和7年までは「土地返せ」と言いながら境内に入っていたそうです。

そして稲荷側は、「神様お留守」と返したとか。

このやり取り見たかったですね。

f:id:kyotomichi:20190505192109j:plain

10時過ぎ、まずは鼓笛隊がやってきます。
 

f:id:kyotomichi:20190505192221j:plain

藤森神社 神役

 

f:id:kyotomichi:20190505192510j:plain

そして武者行列が続きます。

朝渡(あさわたり)

早良親王陸奥国で反乱がおこったときに藤森神社で戦勝祈願して出陣した際の軍装。

f:id:kyotomichi:20190505193234j:plain

皇馬(こんま)

 清和天皇勅諚深草祭の行装

f:id:kyotomichi:20190505193415j:plain


佛殿(ほって)

神功皇后が纛旗(とうき)を掲げて新羅凱旋したときの行列

(どうせならここに神功皇后を入れてほしい・・)

 

うーん、違いが分かりづらいですね。
本来七福神もあるようですが、いなかったです。

 

f:id:kyotomichi:20190505194041j:plain

滝尾神社の剣鉾


滝尾神社は東福寺の近くにある神社です。

藤森神社の境外末社で、江戸時代には「多郷社」と称し、藤森神社の御旅所となっていました。

祇園祭の大船鉾の龍頭のモチーフになったところですね。

剣鉾なので、神輿が通る前に厄を集めるという祇園祭の鉾と同じ役割でしょう。

 

f:id:kyotomichi:20190505194255j:plain

続いて神役の車には菖蒲の花が載っていました。

(鼓笛隊のバスとともにいったん南側の駐車場で待機していた)

f:id:kyotomichi:20190505194532j:plain

そして10時45分。

先ほどの鼓笛隊、武者行列が出てきました。

f:id:kyotomichi:20190505195832j:plain

この時に剣鉾が鉾差をしてびっくり。

もうないのかと思いました・・。

かろうじて見れましたが、移動できないので待機。

f:id:kyotomichi:20190505194805j:plain

入れ替わるように、今度は神職が馬に乗ってやってきました。

 

f:id:kyotomichi:20190505194750j:plain

女神輿

 

f:id:kyotomichi:20190505195939j:plain

藤森太鼓

f:id:kyotomichi:20190505200040j:plain

 

f:id:kyotomichi:20190505200149j:plain

深草

深草郷、本郷、上八丁、中ノ郷、下之郷

 

f:id:kyotomichi:20190505200548j:plain

f:id:kyotomichi:20190505200758j:plain

東福寺

東福寺郷、東福寺上ノ郷、南組、北組)

 

f:id:kyotomichi:20190505200906j:plain

f:id:kyotomichi:20190505200953j:plain

宮本下之郷

 

f:id:kyotomichi:20190505201940j:plain

そして3基の神輿が、稲荷大社末社「藤尾社」に鎮座されました。

祭神は舎人親王です。

この場所はもともと藤尾と呼ばれる地で、「藤尾社」がありました。

816年に空海がこの土地を請い稲荷社を造営したために、藤尾社は深草遷座して祀られたのです。(追いやられたともいう・・)これが今の藤森神社の東座(下記)にあたります。

今の「藤尾社」は、延宝8年(1680)に天皇塚の崩れた跡に小舎を新築されたものです。

 

 

神輿は左(西)から深草郷、東福寺上ノ郷、宮本下ノ郷となっています。

これはおそらく藤森神社の祭神の並びと同じになっているのでしょう。

つまり、

西座:早良親王(さわらしんのう)、伊豫親王(いよしんのう)、井上内親王(いのうえないしんのう)

中座:素盞鳴命(すさのおのみこと)、別雷命(わけいかずちのみこと)、日本武尊(やまとたけるのみこと)、応神天皇(おうじんてんのう)、仁徳天皇(にんとくてんのう)、神功皇后(じんぐうこうごう)、武内宿禰(たけのうちのすくね) 

東座:舎人親王(とねりしんのう)、天武天皇(てんむてんのう)



天武天皇の子が舎人親王です。

そして早良親王は、舎人親王の従弟の孫にあたります。(遠い・・)

 

ってことで、藤森祭は、3つの祭りが一緒になっているんでしょうね。 

合祀しまくっているので、とってもややこしいというか複雑・・。

①「土地返せー」っていう東座の祭

早良親王藤原種継暗殺を企てたと疑われて幽閉され、絶食して亡くなった。怨霊のたたりを恐れ、その怒りを鎮めるための東方征伐を称える西座の祭

主祭神である素戔嗚尊の霊を鎮める中座の祭(&神功皇后を称える祭)

 

素戔嗚尊についてはこちらをどうぞ。

kyotomichi.hatenablog.com

 

 

f:id:kyotomichi:20190505215533j:plain

さて、11時過ぎより神事が行われます。

この間は撮影禁止です。

東側(右)が藤森神社、西側(左)は行列にいず鳥居前で待っていたので稲荷大社神職でしょう。

これを見ると、稲荷大社より藤森神社の方が格が上のような感じがしました。

お祓いのあと祝詞が上げられたあと、お互いに挨拶されていました。

5月3日の稲荷大社還幸祭では、東寺の東門前で東寺の僧侶から読経を受けるので、この神仏の関係性が面白くて興味深いですね。
お互いにあいさつ回りをしているみたいです。

f:id:kyotomichi:20190505220938j:plain

 15分ほどで神事は終わり、神輿も早々に立ち去るんですね~。f:id:kyotomichi:20190505221309j:plainf:id:kyotomichi:20190505221046j:plain

帰りは剣鉾を差しているところを目の前で見たいと思いましたが、
神輿の周囲にいないから、剣鉾どこー?と探し回りました。

宮本下ノ郷、東福寺郷の神輿が出てから、剣鉾が来ました。

 

なぜ神輿の先導ではないのだろうと思ったら、

滝尾神社が東福寺郷に位置することから、

2003年から東福寺郷の神幸列を先導するようになったからだそうな。

でも・・先導してないよね^^;

 

いろいろ思うところはありつつ、②へ続く。

 

後冷泉天皇火葬塚

f:id:kyotomichi:20190611214123j:plain

京都市北区紫野下御輿町8

・・といっても、京都人には町名はぴんとこないですね。

千本北大路通の北東角にあります。

f:id:kyotomichi:20190611214221j:plain

f:id:kyotomichi:20190611214240j:plain

かなりこじんまりとしたところでした。

第70代後冷泉天皇(1025-1068) 享年43歳。

第69代・後朱雀天皇の第1皇子親仁(ちかひと)。

母は藤原嬉子(きし/太政大臣道長の娘)は出産後に亡くなります。

 

1045年に父の死に伴って即位しました。

高陽院(かやのいん)中殿で亡くなり(『扶桑略記』)、5月5日、船岡の西野(にしの)で火葬にされました。
 この火葬塚は、かつての火葬場所にあたります。