京都散歩道

数年前、某SNSで活動していた「京都散歩道」。このたびブログにて復活しました。京都をいろいろ巡っていますので、少しずつご紹介していけたらと思います。最近は平安京巡りにはまり中。過去のデータを移行したら、写真が一部見れないので、また修正します!まとめサイト等、他サイトへの文章・写真の転載はお断りします。

2018年5月20日 下御霊神社 還幸祭

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9時45分から神事、10時に行列が出発とあって、

9時20分くらいに到着。

剣鉾はそこまで場所取りしなくてもたいてい見れるので、いつもより遅めです。

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どのあたりで見ようかと思っていたら、

ちょ、ちょっと待って、剣鉾来たっ!

9時25分前です。

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扇鉾です。

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つづいて、葵鉾

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神社に挨拶して、剣鉾を横にすると、

そのまま北上していきました。

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最後の1つは菊鉾で、曳行します。

午後14時からの巡行列では、枝菊鉾が曳行します。

ちなみに、神幸祭では神社の祭具として巨大な三叉(さんさ)鉾を枠づくりにした、幸鉾(さいのほこ)が供奉します。

 

いやー、危うく見そこねるところでした。

やはりこの剣差しを見たいですからw

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お馬さんも到着。

目の前に止まってびっくり。

触れるくらいの距離にいました。

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続いて、「ほいっとーほいっとー」の掛け声とともに、担ぎ手さんも到着です。

そして、車が前について、降りてきたのは京都市長の門川さん。

降りた瞬間目があって、お辞儀されて戸惑ってしまった(笑)

仕事でも何度かお会いしてるので、覚えられているのかと・・んなわけない。単なる市民へのあいさつですねw

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9時45分、神事が鳥居前で行われます。

最初に、宮司さんからこのお祭りについての説明がありました。

「御所で鵺が夜な夜な啼いて帝を恐れさせたので、御所の上と下に御霊をつくって、これをなだめるために祭礼を行ったのが神泉苑で、今日の御霊祭も大変由緒ある祭りなので、みなさんに歴史を知ってもらい、誇りを持って怪我のないように祭りを楽しんでください」というものでした。

祭りの前にこういうお話があるのはよいですね。

ただ・・昔は御所は今の場所じゃないよ?と内心つっこみましたが。

そして、伊吹文明氏のお話もありました。

市長を、「今日は、昔のでいう京都所司代の門川さんもいらっしゃることですし・・」と言われて、なんだかしゃれたことをいっておられていいなーと思いました。

そして、門川市長のお話のあと、お神酒が配られていました。

 

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先頭列へ行って、出発です。

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神輿を見送ったあと、行列の先回りで、一本東へ向かいました。

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このあたりは、昔ながらの町屋があり、風情があっていいです。

が、剣鉾は差すことなく通り過ぎていきました・・。

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さっきはいなかった子供たちも行列にいました。

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昔の様子が目に浮かぶようです。

ひとついうなら、電線ない方がいいな・・。

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神輿の列がやってきました。

ここでいったん休憩がありますので、提灯を並べられました。

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素敵な風景♪

置いたあと、速攻人が前に行って写真撮っていたので、

さっさと撮ってよかったです。

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神輿もいったんこのあたりで差し上げして、休憩となりました。

私もここで退散しました。

また今度、ほかのところも見れたらいいな。

 

 

2018年5月19日 下御霊神社 還幸祭 前日

 

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明日の祭りのための下見も含めて、行ってきました。

夜は宵宮があるのだけど、目的は剣鉾なのであえて昼間です。

ちなみに神幸祭は5月1日で、鳳輦(ほうれん)や神輿が区域を練り歩きます。

 

 

下御霊神社についてはこちら

 

kyotomichi.hatenablog.com

 

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漆塗螺鈿装 鳳輦形神輿

拝殿の北側にある倉庫で、見ることができます。

「鳳輦は碾王の乗物である乗輿の中で、第一に位置するもので、祭礼においては神霊を還し乗せるもっとも重要な祭器である。

江戸時代、京都において神輿は金道装方形が主流となり、特に寛政年間以降、装飾が複雑・重厚となり舁き手が多数必要となっていった。

(略)当社においても大宮・若宮神輿が存するも最初の鳳輦を明治19年に新造したのである。ただ近世の形式(台輪の部分が階段になっている)であった為、有職を重んずる観点からすれば当社の御祭神の神霊の乗り物にそぐわない感もあった。現在の鳳輦は、大正12年に有職故実家でもあった当時の社司 出雲路通次郎が、平安から鎌倉初期の形式に即して設計監督して京都の名工たちに嘱して新造したものである。

現在毎年5月1日神幸祭に神霊を還し、還幸祭当日(5月第3または第4日曜日)には鳳輦列と神輿列巡行を斎行している。」

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大宮神輿

「宝永6年(1709)東山天皇のご寄付になる金銅装方形神輿で、安永・天保・大正年間に修理を重ねる。

台輪(土台)の長さ五尺六寸(170cm)という全国でも最大級とされる。

天保年間に加えた四神額、鏡額の金具は精緻を極め、幕末京都金工の粋である。」

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若宮神輿

「宝永以降に狭い道路を巡行するために新造し、寛保3年(1743)には改造を加えている。

台輪(土台)は四尺七寸(142cm)でこれだけでも堂々とした金銅装方形神輿の体裁を整えている。」

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猿田彦神輿

「明和7年(1770)後桜町天皇他の御寄付になる髤漆装向唐破風造という珍しい形式である。腰輿から発生した各の低い神輿である。神幸列の先導役として延宝4年(1676)明正天皇の御寄付になる猿田彦神面を収める。」

 

さて、肝心の剣鉾が見つからない・・うろうろしても疲れるだけなので、社務所で聞きました。

その年によって違うそうですが、今年の場所を聞きました。

結構離れていてびっくり。これは聞かないとたどり着けません^^;

最後に地図を載せますね。

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菊桐鉾

「江戸時代は、下御霊神社の祭礼に十二本の鉾が出ていたが、元治の兵火で四本を失い、現在は八本の鉾が保存されている。この鉾は、宝永2年(1705)、東山天皇の寄進によるもので、以来毘沙門町で守護している。鉾名となる錺(かざり)は菊花と五七桐で、江戸時代の吹散も原型のまま保存されている。」

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枝菊鉾

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祇園祭の山鉾を思わせるほど装飾がすごいです。

 

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そしてここから歩くこと30分・・^^;

(「このあたり、行ったらわかる」としか聞いてなかったので、探し回ったのもありましたが)

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菊御鉾

ここのは時代を感じますね。

こちらでほかの2か所の場所も確認できました。

この南側の駐車場にもあるとのことで、そこも見てきました。

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これは聞いてないと気づかなかったです。

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扇釼鉾

会所の人に聞くと、これでおうぎと読むらしいです。

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扇の形が見事!吹散も色鮮やかですね。

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葵鉾

最後はおうちの中でしたが、誰もいらっしゃいませんでした。

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青が下御霊神社、ピンクが剣鉾の会所場所になります。

結局全部見て、2時間くらいかかりました。

 

旧二条城址、石垣

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京都御苑の西側、平安女学院の東北角に石碑があります。

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場所はこのあたりにあったようです。

「永禄12年(1569)に織田信長が、第15代将軍・足利義昭の将軍座所(居城)として、この石碑を中心に、約390m司法の敷地にほぼ70日間の短期間で、二重の堀や三重の「天主」を備えた堅固な城を築いた。周辺からは金箔瓦も発掘されており、急ごしらえにしては、四方に石垣を高く築き、内装は金銀をちりばめ、庭は泉水・築山が構えられた豪華な城郭であったと推測される。(ポルトガルの宣教師、ルイス・フロイス記録等より)その後信長は急二条城から義昭を追放し、東宮誠仁親王を迎え入れ、城は「二条御所」として使われていたが、室町幕府幕府の滅亡に伴い廃城となった。天正4年(1576)に旧二条城は解体され、安土城築城に際し建築資材として再利用された。なお、現在の二条城は、徳川家康によって上洛の際の将軍の居館として慶長7年(1602)に築かれた。」

 

所在地:京都市上京区烏丸下立売

築城者:織田信長

形式:平城

築城年:1569年(永禄12年)

 

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平安女学院の南側から撮影。

ちょうど旧二条城の中央あたりになるんですね。

 

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京都御苑内に、旧二条城の復元石垣があります。

京都御苑西南の椹木口(さわらぎぐち)あたり。

私もこれは知らなくて見に行ってみました。

平安女学院からほど近い門から入って、すぐ南に行くとありました。(烏丸椹木町通り、丸太町通の一本北)

 

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平安女学院の石碑に書かれている内容とほぼ同じで、

地下鉄烏丸線の工事に伴う発掘調査で丸太町上るに埋れていたのを、発見したもので、元は南面していたのを、ここに復元したとあります。これと同じものが烏丸椹木町通・下立売通・出水道にも発見されており、今も地下に埋もれているのだそう。

 

松尾大社 神幸祭 船渡御

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以前船渡御が見れなかったのでリベンジしようと思っていて、

ようやく行ってきました!

船渡御が13時からなので、11時50分頃について場所取り。

橋の上なので、一望です!

この日は天気が良すぎて、暑いくらいでした。

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13時頃、向こう岸にお稚児さんが見えました。

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お稚児さんが船に乗り込みます。

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唐櫃も乗り込みます。

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お稚児さんはずっと下を向いて歩いていたので、奇跡の一枚!

とってもかわいらしいです。

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続いて四ノ社。

神輿の下に船を入れて運ぶのですね。

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人が乗る船はモーターがついていましたが、神輿を載せる船は手漕ぎでした。重そうでゆっくりでした。

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続いて衣手社

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三ノ宮社

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宗像社

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檪谷社

川を渡った神輿は、河岸のしめ縄の下を通ります。

橋の上にも二か所しめ縄があり、その下を通ります。

その時は一切橋の上は通行止めになっていました。

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最後は大宮社。

萩野は、ここの氏子でもあります。

なのでやっぱり応援したいw

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橋の下をくぐって、公園へ。

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一堂にそろうとやはりいいですね。

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15時。神事が始まりました。

前に見たこともあり、さすがに暑くてばてたので、

これで帰りました^^;

長尾天満宮、頼政道跡

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地図で「頼政道」というのを見つけて、

醍醐寺に行くときに行こうと決めていました。

遠回りしなきゃいけないかと思ったら、

醍醐寺の中から行けるのがわかってホッ。

仁王門の手前を左に行くとあります。

 

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先は長ーいっ。

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ひえぇ・・。

でもまだ階段ゆるやかだったのと、

人がいたのでよかったです。

 

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この階段途中に頼政道跡の碑があります。

源頼政が、治承4年(1180)平氏を打倒しよと後白河法皇の皇子以仁王を奉じて挙兵しましたが、平氏に追われて大津市園城寺三井寺)から奈良を目指して宇治に通りぬけた間道で、頼政道とよばれています。頼政平氏との宇治川の合戦に敗れて平等院で自害しました。「源平盛衰記」に、「醍醐路に懸かりて木幡の里を伝いつつ宇治へ」と記されています。

(一言寺→日野ひげの辻→木幡→宇治)」

 

私大勘違い・・。てっきりこの階段の道かと思ったら、

これを横切る道だったんですね^^;

道理で地図と合わないと思った。

せめて横向きに碑を立てといてー!(下の用水路参照)

またリベンジか・・。

 

頼政に関する記事はほかにもいろいろ行って書いていますので、

ブログ内検索してみてください。

源氏の事を調べていたら、頼政平氏についていたんだけど、頼朝が幽閉されていたこともあり、情報収集しながら、機会をうかがっていたんじゃないかと思っています。

頼朝挙兵と同時にこちらも動いているし、絶対に影の立役者!

そう思うと思い入れも深くなり、関連場所を行くようになりました。

(あ、平等院の碑や亀岡のもあるんだけど、まだ書いてなかった。また書かねば)

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祭神:菅原道真

   大巳貴命(おおなむちのみこと)

   素戔嗚尊(すさのおのみこと)

菅原道真公の死後(903)墓(衣裳塚)が築かれ、949年に勧請された。現在の本殿は1821年に再建されたものである。

三間一面檜皮葺の建物で柱や梁には胡粉下地の上に岩絵の具で彩色を施し、極彩色の文様が描かれ、脇障子には、鯉の滝登りや獅子の子育てを題材とした透かし彫りの幕板がはめ込まれるなど、市内有数の装飾に富んだ造作が見られる。

石段を上がりきった右手にある菅公衣裳塚は、公がこの地に遊覧の折、死後はここに墓地を築くことを、醍醐寺開祖の聖宝理源大師と約束を交わされた。そして管公の死後、醍醐寺一世勧賢座主が、大宰府から衣裳や遺物を持ち帰り、埋めたと伝えられている。

東風ふかば  にほひをこせよ 梅の花

  主なしとて 春な忘れそ /菅原道真

手向けして 春や行くらし ちはやぶる

  長尾の宮の 花のゆうして /前中納言定家 」

 

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天満宮には欠かせない牛さん。

えらいところにいてはります。

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本殿

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春日社、蛭子社、住吉社

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八幡宮、稲荷社

 

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本殿の左側の山道。何人かここから行き来されていましたが、

一人じゃ無理ーっ。

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皇大神宮

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祭神:豊受大神天照大神

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衣裳塚略記

「菅公此の地(醍醐)に遊覧の折、醍醐寺開創の聖宝尊師に曰く、吾薧する後、墓を此の地に葬るべしと。その後(延喜3年)3月25日大宰府において薧せられし後、使者を遣わし、菅公の衣裳や遺物等を持ち帰り、醍醐寺第一代座主勧賢僧正は先師の約束を違えず、墓を此の地に築かれた。今この墓の上には宝篋印塔が祀られ、俗に衣裳塚という。傍の碑に

東風ふかば にほひをこせよ 梅の花

 主なしとて 春な忘れそ

の歌が刻まれている」

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この右手にも山道への道がありました。

 

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洛東用水路跡

「此処はかつて、洛東用水と呼ばれた、灌漑用水路でした。醍醐から日野にかけての水田は河川の水とため池の水で養われてきましたが、干天が続くと水不足に見舞われてきました。

大戦中の昭和17年(1742)から昭和20年(1945)にかけて、小野まで来ていた琵琶湖疏水を取り入れた用水路を日野まで延伸(5.24キロ)までし、灌漑用水を賄ってきました。ここの標高は約42米で、琵琶湖の水面標高は約84米です。(京都市水道局刊(微差こそ水の百年より)」とありました。

 

これを見たときに、頼政道も気づけばよかった・・。

見たことは見たので、心に留めておこう。

こことは違い、草むらになっていました。

 

 

醍醐寺

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西国三十三か所観音霊場の一つでもあるので、

行こう行こうと思いながらも・・後回しになっていた醍醐寺

確か前は、入山しないと上醍醐御朱印もらえなかった気がします。それもあって、行くのを尻込みしていました。

一人で登山はどうも苦手で・・。

でも、入山しなくてももらえると聞いて、何かの時に行こうと思っていました。

今回、桜&頼政道を目的で行くことを決めました。

 

2009年に書いてあるのがありましたが・・写真が小さかったからか、前のブログからちゃんと移行できていませんね。

太閤行列も書いてるのにな、また直さなければ。

このころは三宝院の庭の撮影は禁止だったんですね。

kyotomichi.hatenablog.com

 

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拝観料めっちゃ高くなってますよね。

三宝院&伽藍&霊宝館セットで1500円。

もし入山するなら+600円(券持っていたら500円)

さらに、特別拝観もしていたんだけど、それも見るなら+500円!

御朱印ももらったりすると・・ひぇっ。

先日の東寺は境内は無料で、庭園500円なんでかわいいものです。

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真言宗醍醐派の総本山で、平成6年(1994)に世界文化遺産に登録された。山上の上醍醐と山下の師も醍醐から成る壮大な寺で、天暦5年(951)に完成した京都府城最古の五重塔(国宝)をはじめ、4万点にも上る多くの国宝や重要文化財を有している。

平安初期の貞観16年(874)に理源大師聖宝が笠取山上醍醐)に登って観音像を彫刻師、安置したのが当時の始まりとされており、延喜7年(907)に醍醐天皇勅願寺となり、次第に大伽藍が整えられた。

応仁の乱や文明の乱により五重塔を残してすべて焼失したが、慶長3年(1598)に豊臣秀吉北政所らを醍醐の花見に誘ったことをきっかけに、秀吉の厚い帰依を受けて復興された。本堂の金堂(国宝)は、慶長4年(1599)に紀州湯浅の満願寺から移築したものといわれ、三宝院庭園(特別史跡および特別名勝)は、華麗で豪華な桃山時代の庭園で、秀吉の憲政をしのばせている。霊宝館には、薬師如来坐像(国宝)や秀吉所要の黄金天目茶碗などが収蔵されている。」

といったことが書かれています。

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唐門

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西大門(仁王門)

まずは上醍醐の観音堂を目指します。

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清滝宮本殿 室町時代 永正14年(1517)建立

本尊 准胝観音

本尊 如意輪観音

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五重塔 天歴5年(951)完成

醍醐天皇の菩提を弔うため朱雀天皇が起工。

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旧伝法学院(修行道場)

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祖師堂

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日月門

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出てから振り返ってみると、こちらをにらんでいました。

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観音堂

本尊 准胝観世音菩薩

えー・・御朱印待つこと1時間・・。

まぁ、覚悟はしていましたけどね。

本を持っていて読んでいました。

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弁天堂

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無量寿苑の奥に滝があります。

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この辺りまで来るとさすがに静かな感じです。

でも周りに人はいますけどね。

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ここから、入山することもできるし、右の道から三宝院へ戻ることもできます。ただ出ると戻れなくなります。

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鐘楼(観音堂の左手)

なんか雰囲気が好きでした。

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真如三昧耶堂

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不動堂

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金堂

ここから仁王門を出て、右手に行くと、長尾天満宮へ行けます。その参道の途中の階段に頼政道があります。

この分は次に書きたいと思います。

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三宝

醍醐寺第14世座主・勝覚僧正により、永久3年(1115)に創建。

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雅な感じから、急にゴツイ感じに変わるので、

ちょっとびっくりします。

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でもこういう石庭は好きですね、落ち着きます。

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霊宝館の向かい側のお休みどころに、

露店がいくつかあり、湯葉うどんにしました。

湯葉がおいしかった。

さすがに14時半にもなりおなか空きすぎ・・。

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霊宝館

右手に仏像棟もあります。

如意輪観世音菩薩に癒されました。

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醍醐の桜といえば、このイメージが強いです。

霊宝館の前に咲いています。

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こちらも霊宝館の奥にあります。

いい感じですね。

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本当に人が多かったです・・。

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桜ライトアップ in東寺

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今年は行くつもりなかったのですが・・行ってしまいました。

満月の前日でもあって、月もきれいでよかったです。

 

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人はたくさんいますが、中が広くてばらけるので、

意外とゆっくり見れます。

 

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せっかくなので、生菓子と抹茶もいただきまひょ♪

生菓子は東寺北門の「ひので」はんのやて。

上品でおいしゅうございました。