【史跡】京の歴史を追え! 幕末へ
角屋。いつみてもこの見事な景観は素晴らしいですね。 久坂玄瑞審議の角屋 幕末、西郷隆盛・久坂玄瑞などの勤皇の志士たちが、角屋で尊王攘夷運動の密議を重ねたところでもあります。 新選組刀傷の角屋 井戸 新選組の刀傷 おくどさん 西郷隆盛が行水に使用し…
島原は京都駅からほど近いところにあります。 江戸時代以来栄えた花街として発展し、寛永18年(1641)官命によって島原の前身である六条二筋町から現在の孔雀野の地に移されました。その移転騒動が、九州で起きた島原の乱を思わせたところから、島原と呼ばれ…
五条坂のバス停から、国道の横を歩くこと25分。さすがに…くじけそうになりました。 人が居なさすぎて! 心細いことこの上ないですね。 参道はあったけど、ものすごい階段・・。 清閑寺とつながっているのかもわからないし、 とりあえず寺を目指すことにしま…
寺田屋に最後に行ったのが・・まだカメラがフィルムの時代^^; いい加減撮りなおしたいなぁと思っていたのですが、すでに閉まっていたのでまた今度。 「文久2年(1862)4月、尊王攘夷派の先鋒であった薩摩藩士九名が殺傷されるという明治維新史上有名な寺田屋…
会津藩駐屯地跡(伏見御堂) 地図を眺めていたら・・こんなのがあるーと行ってみました。 平成21年12月にできた新しい石碑でした。 案内板によると、 「伏見御堂は桃山時代の慶長年間に東本願寺の第12代法主・教如が創建しました。本堂は徳川家康の居城・向…
表門(重要文化財) 元和8年(1622)、徳川頼房が伏見城の大手門を拝領して寄進したものです。正面には、中国二十四考の彫刻で、左から順に、孟子、唐夫人、敦巨、楊香、の物語が描かれています。 上から順に、孟子、唐夫人、敦巨、楊香。 祇園祭の孟宗山(…
さらに三条通を東へ・・。 花見小路の少し東にいったところに、大将軍神社があります。 「素戔嗚尊を主神とし、相殿に関白藤原兼家を祀る。 桓武天皇が平安京を造営した際、大内裏鎮護のため四方四隅に祀られた大将軍神社のうち東南隅の一つである。 特に平…
この日は、三条烏丸から東山へぶらり。 なんとなく歩いてしまいました。 撮りなおそうと思っていた辨慶石。 これは麩屋町通と御幸町通の間位あたり、よーじやカフェ三条店の隣のビルにあります。弁慶石町になります。 西側には、 此石ノ由来ハ山州名跡志巻ノ…
京都市美術館ダリ展にいってきました。 ダリは、中学生の時の美術の教科書に載っていて、 絵をかくときにちょっとまねたことがあります。 それもあってとても印象深く残っています。 なので、どうしても見に行きたかった! 写真OKのスペース。 1974年開館「…
数年ぶりに行ってきました。 以前行ったときは、幕末関連で巡っていたので・・ ちゃんと神社として見ていなかったんですよね^^; 良いお天気に恵まれました。 お祭りをしていたので、屋台がちょっと残念・・。 「舎人親王天武天皇の皇子。親王は持統、文武、…
阪急長岡天神駅の近くに、開田城跡というのがありました。 案内板によると 「戦国時代(15世紀後半~16世紀)に活躍した国衆の一人である中小路氏の居館(居城)である。 乙訓・西岡地域の土豪、地侍たちはそれぞれ村のリーダーとして活動し、また国衆として…
さらに寺町通りを北上すると、梨木神社が見えてきます。 この鳥居から行っても、さらに北から曲がっても行けます。 ここ来たのも10年ぶりくらいかも・・。 案内板によると、 明治18年(1885)に創建された旧別格官幣社で、明治維新の功労者三条実萬公・実美…
烏丸丸太町を東に行くと、京都御苑の堺町御門が見えてきます。 この門の向こう、東側に公家の鷹司邸、西側に九条邸がありました。 文久3年(1863)、薩摩藩と会津藩による「八月十八日の政変」が勃発。これによって、長州藩は堺町御門警護の役を解任されて…
久しぶりに相国寺に行ってきました。 3月18日まで見れるのがこの3つ。 鳴き龍は前に見たから今回はパス。 時間の都合もあって、一番見たかった養源院のみに絞りました。 南の総門から入ってすぐ左にあるのが天界橋。 相国寺と禁裏御所との中間の境界線の位…
最近は平安時代巡りばかりしている私ですが、 その前は幕末巡りばかりしていました。 坂本龍馬、新選組関係はかなり行きました。 これらも少しずつアップしていきたいですね。 さて、こちらは、油小路通りになります。 風俗博物館へ行く通り道だったので、 …
参考:日文研 花洛往古図(内容年代:平安時代末期-鎌倉時代) これは、安楽寿院近くにあった、鳥羽離宮周辺のイメージと地図になります。 中央の離れ小島が城南宮です。 城南宮の周囲は大きな池だったのですね。 城南宮の本殿が斜めになっているのも、この…
おそらく3年ぶりの城南宮へ行ってきました。 東の石鳥居です。 平安遷都の際、都の南の守護神として創建されたといわれています。 祭神:国常立尊(くにのとこたちのみこと) 八千矛神(やちほこのかみ) 神功皇后(じんぐうこうごう) 看板より 「この地に…