上京区 御所周辺
9時45分から神事、10時に行列が出発とあって、 9時20分くらいに到着。 剣鉾はそこまで場所取りしなくてもたいてい見れるので、いつもより遅めです。 どのあたりで見ようかと思っていたら、 ちょ、ちょっと待って、剣鉾来たっ! 9時25分前です。 扇鉾です。 …
明日の祭りのための下見も含めて、行ってきました。 夜は宵宮があるのだけど、目的は剣鉾なのであえて昼間です。 ちなみに神幸祭は5月1日で、鳳輦(ほうれん)や神輿が区域を練り歩きます。 下御霊神社についてはこちら kyotomichi.hatenablog.com 漆塗螺鈿…
京都御苑の西側、平安女学院の東北角に石碑があります。 場所はこのあたりにあったようです。 「永禄12年(1569)に織田信長が、第15代将軍・足利義昭の将軍座所(居城)として、この石碑を中心に、約390m司法の敷地にほぼ70日間の短期間で、二重の堀や三重…
何度となく前を通っているのに・・そういえば入ったことがあったようななかったような。 そう思って行ってみました。 「桓武天皇に遷都を進言し、平安京の都づくりを推し進めた和気清麻呂とその姉広虫を祭神とする神社。もとは神護寺境内にあったが明治19年…
ふらふらと歩いていたら・・長徳寺というお寺が見えてきました。 門前には、会津藩洋学所跡地の石碑がありました。 「元治元年(1864)蛤御門の変が起こったこの年、会津藩士山本覚馬(同志社創立者新島襄夫人 八重の実兄)は、長徳寺内に洋学所を開設し、京…
普段通らない道をふらふら適当に曲がって歩くのが好きで、 今日もなんとなく歩いていたら、こんな神社がありました。 烏丸今出川を南へ一筋、武者小路通りを西へ一筋、 室町通を南に行ったすぐのところにありました。 「本社は福井神、綱長井神(つながいの…
今出川寺町にたたずむのが大原口道標。 ここは、江戸時代、大原口と呼ばれた辻でした。 慶応4年(1868)に建てられたことがわかります。 4面に方角と距離が書かれていて、これがまた大きくてびっくりです。 三条白川橋,五条別れ,吉田本町,北白川西町の道…
さらに寺町通りを北上すると、梨木神社が見えてきます。 この鳥居から行っても、さらに北から曲がっても行けます。 ここ来たのも10年ぶりくらいかも・・。 案内板によると、 明治18年(1885)に創建された旧別格官幣社で、明治維新の功労者三条実萬公・実美…
丸太町寺町を北に行くと、新島襄旧邸があります。 こっちは出口。入り口はもう少し北にあります。 新島襄は、同志社の創立者です。 大河ドラマ「八重の桜」で新島八重が出てきましたね。 その旦那様になります。 ドラマが落ち着いたら行こうと思っていたら・…
烏丸丸太町を東に行くと、京都御苑の堺町御門が見えてきます。 この門の向こう、東側に公家の鷹司邸、西側に九条邸がありました。 文久3年(1863)、薩摩藩と会津藩による「八月十八日の政変」が勃発。これによって、長州藩は堺町御門警護の役を解任されて…
久しぶりに相国寺に行ってきました。 3月18日まで見れるのがこの3つ。 鳴き龍は前に見たから今回はパス。 時間の都合もあって、一番見たかった養源院のみに絞りました。 南の総門から入ってすぐ左にあるのが天界橋。 相国寺と禁裏御所との中間の境界線の位…
京都には、三珍鳥居となる、変わった鳥居があります。 ●北野天満宮内 伴氏社(ともうじしゃ) 祭神:菅原道真公の母君 菅原道真の母君が大伴氏の出身であることから、こうよばれています。 かつては石造りの五輪塔が置かれていましたが、 明治維新の神仏分離…
参考:日文研 花洛往古図(内容年代:平安時代末期-鎌倉時代) 平安京の北側に、上御霊社(かみごりょうしゃ)がありました。 これが今の上御霊神社になります。 今回はこのあたりを散策しました。 平安時代の地図を現代の地図に置き換えるとこんな感じにな…
この時期、御所では、早咲きの桜とともに、 梅や桃、木蓮など、さまざまな花を見ることができます。 一度に楽しめるというのがまたいいですよね。 こんな感じで、お花見しながら、友人とお茶会を楽しみました。 時々しているんですが、なかなかいいでしょ?
近衛邸の糸桜 正面からも撮っているんだけど・・知らない人がいっぱいこっち向いて写っているので自粛しました。^^; こちらは出水の小川あたりの桜。 友人とお茶とお菓子を楽しみました。
御苑内のベンチで、 抹茶を点て和菓子で、ちょっとティータイム。 外でのお茶は、また格別ですね。
旧有栖川邸有栖館 烏丸下立売の角にあります。 旧京都府庁 円山公園の初代の枝垂桜の孫にあたる桜になります。 昔の京都の写真展もしていました。 市電もなくなってしまった今では貴重な写真ですね。 あ、嵐電はありますけどね。 四条通 三条通 拡張後の四条…
3月20日頃になると、御所では早咲きの桜とともに、 梅や桃、木蓮など、さまざまな花を見ることができます。 糸桜 出水の桜
有栖川宮旧邸。 扉は樹齢700年の檜を使っているそうで、大変貴重だとか。 入ってすぐ右手に桜の木、左手にもみじがあり、 春と秋も楽しめそうです。 左:中から全体をみた感じ 右:右手の床の間が能舞台になっています。 左手の廊下向こうがお庭です。 左:…
京都府庁 旧本館は、去年も行ったんだけど、 京都守護職屋敷跡の石碑を見損ねたから、どーしてももう一度いきたくて(笑) 着いて即効見つけて撮りましたw これで心置きなく・・。 10時から、ガイドツアーがあるというので、 参加してきました。 表構えから…
納涼所 御三間 ここでは、三献の儀というものが再現されていました。 女御入内の儀式の一つで、御常御殿中断の間にて、三献の儀があり、女御親ら酌して天皇に献じ、次に天酌を受けられます。三度飲むことを一献とし、これを三回繰り返すそうです。 左は、御…
清涼殿 平安時代、天皇が日常の御生活の場として使用された御殿で、入母屋桧皮葺の寝殿造りです。四方に廂(ひさし)をもち、日常の御殿であるため内部は襖などによる間仕切りが多くなっています。中央を母屋といい、御休息の御帳台が置かれ、手前の厚畳は御…
794年(延暦13年)、桓武天皇が遷都された平安京の大内裏の中ほどに天皇のお住まいである内裏(皇居)がありました。内裏が焼失した時、天皇は貴族の私邸など京中の殿邸を仮皇居とされました。これを里内裏といいます。平安時代の後期以降、元の内裏は次第に…
京都御苑は、都御所を中心に、 大小200もの宮家や公家たちの屋敷が建ち並ぶ公家町が形成されていました。 明治2年の東京遷都で御所周辺の公家の邸宅が荒廃したので、 1883年(明治16年)に公園として生まれ変わりました。 現在は国民公園として一般公開さ…
(撮影:2009.4.5) 京都市上京区下立売通新町西入薮ノ内町 詳細はこちら。 京都府の技師を務めた松室重光の設計により、明治37年(1904年)竣工されました。かつては京都府庁舎本館として使用され、東寺他の庁舎が手本にするほどの名建築だったとか。創建当…