京都散歩道

数年前、某SNSで活動していた「京都散歩道」。このたびブログにて復活しました。京都をいろいろ巡っていますので、少しずつご紹介していけたらと思います。最近は平安京巡りにはまり中。過去のデータを移行したら、写真が一部見れないので、また修正します!まとめサイト等、他サイトへの文章・写真の転載はお断りします。

【史跡】京の歴史を追え! 江戸時代へ

赤穂義士 四十六士遺髪塔跡、小野篁と紫式部の墓所

堀川通上御霊前通の水火天満宮から北上、 墓所へ行く途中の東側に、赤穂義士 四十六士遺髪塔跡がありました。 昨年だったか(現時点でアップできていませんが)、東京の品川駅近くの泉岳寺(赤穂浪士が葬られている)に行っていたのもあって、なんでこんなと…

東京 曽祖父の旅路を辿る③ 湯島~お茶の水

不忍池から歩けるなーとテクテクと湯島天満宮へ。 どうやら裏だったようで。。 この坂は夫婦坂というらしい。 笹塚稲荷神社 戸隠神社 本殿 文和4年(1335)湯島郷民の勧請で文明10年(1478)に修建したといわれています。 祭神はもちろん菅原道真 本殿の左側…

東京 曽祖父の旅路を辿る① 泉岳寺

曽祖父は愛媛に住んでいましたが、長男(私の祖父)や親戚が東京に出たので、 時々行ってついでに観光していたようです。 行くといっても、まだ新幹線もないので、愛媛から船で広島へいき、そこから電車に乗り換えて東京へ着くのが1日後という、行くまでに…

東京 曽祖父の旅路を辿る② 上野

つづいて上野へ。 上野公園に来たのは小学生以来かもしれない。 こんなにごちゃごちゃしてたっけ? 下は砂地で広々していた覚えがあります。 彰義隊(しょうぎたい)の墓 慶応4年(1868)大政奉還後、15代将軍徳川慶喜の一橋藩時代の側近小川興郷らが集まっ…

東町奉行所跡、大学寮址、西町奉行所跡、二条城撮影所跡、平安京跡 神泉苑西端線

二条城の南側には、石碑がいくつかあります。 かなり前に歴史ツアーで回ったんだけど、まだフィルムの時代だったんで、撮りなおそうと思って行ってきました。 押小路通の神泉苑通から千本通までの往復です。 東町奉行所跡 「この現NTT西日本壬生別館付近、東…

新熊野神社(いまくまのじんじゃ)

新熊野神社に行ってきました。こちらも久しぶりです。 ちゃんと全部を見たことがなかったです。 創建当時、熊野神社をそっくりそのまま作ろうとして中州に作ったんですね。びっくり。 由緒書きより抜粋 「永暦元年(1160)、後白河上皇によって創建。 後白河…

旧三井家下鴨別邸

てっきり、季節限定の特別公開だと思っていたら・・開いてる! 行きたいなぁとは思っていたので、こちらもせっかくなので寄ってみました。 旧財閥、三井家の先祖を祀った顕名霊社(あきなれいしゃ)への参拝の休憩所として、大正14年(1925)に、三井家10代…

三条通散策① 辨慶石、CINQ、弥次さん喜多さん像、高山彦九郎像

この日は、三条烏丸から東山へぶらり。 なんとなく歩いてしまいました。 撮りなおそうと思っていた辨慶石。 これは麩屋町通と御幸町通の間位あたり、よーじやカフェ三条店の隣のビルにあります。弁慶石町になります。 西側には、 此石ノ由来ハ山州名跡志巻ノ…

中村楼・二軒茶屋

八坂神社の南門前にある二軒茶屋のひとつ、中村楼へ行ってきました。 二軒茶屋については、下記参照。 kyotomichi.hatenablog.com 門をくぐるとこんな感じです。 格式高くて、ドキドキします。 実は、結婚式の二次会の打ち合わせで使っただけなので、 何も食…

京都御所周辺4(大原口道標、幸神社(出雲幸神社))

今出川寺町にたたずむのが大原口道標。 ここは、江戸時代、大原口と呼ばれた辻でした。 慶応4年(1868)に建てられたことがわかります。 4面に方角と距離が書かれていて、これがまた大きくてびっくりです。 三条白川橋,五条別れ,吉田本町,北白川西町の道…

花咲稲荷神社(はなさきいなりじんじゃ)

地図を見ていたら、素敵な名前の神社があったのでいってみました。 烏丸松原を東にいって、間之町通りを北にいくとあります。 花は咲いてないけど・・すごい場所にありました。 ほんと・・家の前^^; わー、洗濯物が・・ごめんなさーい。 ちょっと申し訳ない…

紫織庵

先日、新町六角あがったところにある、紫織庵にいってきました。 京都市指定有形文化財及び京都府医学史研究会跡に指定されています。 江戸後期に建てられ、大正にモダンな洋間を加えて新築したもの。 茶室も趣があってよかったです。(撮影禁止区域でした・…

茶人 廣野了頓邸跡、将軍御成門跡

新町通りと室町通りの間に、衣棚通りというのがあります。 三条衣棚通りを下がったところに、廣野了頓邸址の碑があります。 案内板によると、 「江戸時代初期の地誌である「雍州府志」(ようしゅうふし)によると、足利家代々の従臣である廣野家が、将軍義晴…