2018-08-01から1ヶ月間の記事一覧
父方の曾祖父母、戒能宇三郎とアサノ(旧姓八木)は、1920年頃にこの街に来て、薪炭商をしていました。そしてアサノの弟基一は警官でしたが、同じ頃千舟町に引っ越して骨董商をしはじめました。 ※何度も書きますが、戒能はわかりやすくしているだけで、実際…
さて、鷹ノ子での最後はこちらです。 八幡宮は源氏が信仰したことでも知られています。 松山市南久米町2 石●改修寄付● とあり、二段目に高須賀小三郎、景浦長次郎、戒能政太郎、三段目に景浦和三郎、景浦ウヽ(ウメ?)、五段目に八木庫次郎、一番下にも八木…
浄土寺の方から線路を渡って、南へ行くと、まず見えてきた石碑がこれです。 事前に遍路石に景浦の名前があることは知っていたので、見に行きました。 左 へんろみち 、すぐこんぴらみ(ちは地中?)、國中 家内安全 嘉永二年(=1849) 助力当村中 世話人 景…
私の曾祖父の祖父、戒能助次郎は鷹ノ子村に住んでいました。 その次男は別の家に養子に入って跡を継ぎ、景浦家の次女と結婚します。 浄土寺に本家の墓がありますが、この次男と養子先の親以降しかありません。 そして、その子供(曽祖父)が、鷹ノ子の湧出地…
はじめに・・私の両曽祖母ツナが高須賀になります。 戸籍によると、則之内村高須賀源八の長男伊五郎の長女になります。 ただ、ツナのメモでは、源八ではなく綱次なんですよね。 両曽祖母がわかりにくければ、下記系図をご覧ください^^; 『川内町誌 第二部三…
三内村は河之内村、則之内村、井内村からなります。 明治22年の町村制により、字 徳吉、則之内北、則之内南、永野、一ケ谷、保免、和田丸、惣田谷上、惣田谷下は、下浮穴郡三内村則之内となり、明治30年4月に温泉郡となりました。(曾祖母高須賀ツナは惣田谷…
2017年3月の連休に、愛媛へ行ってきました。(いまだ全然まとめられていない) 同様に調べている人たちと、どこかで繋がればいいなぁと思い、公開できるところだけ書いて行きたいと思います。 ということで、ちょっとだけ歴史について触れますね。 私は先祖…
私のルーツは愛媛県にあります。 私の両親はいとこ同士なので、祖父母が姉弟です。 さらに曾祖父母も兄妹だったりします。(詳細はもっと複雑ですが・・) そして曾祖父母の代までは、愛媛県下浮穴郡三内村(今の東温市川内村)にいました。 祖父が残した自伝…
歴代の天皇の陵墓は、宮内庁の管理下にあります。 皇室典範によると、天皇、皇后、太皇太后、皇太后の墓を「陵」、皇太子や親王などの皇族は「墓」と定めています。多くは幕末から明治年間に治定されました。 ちなみに・・ 「天皇」は、崩御されてから贈られ…
角屋。いつみてもこの見事な景観は素晴らしいですね。 久坂玄瑞審議の角屋 幕末、西郷隆盛・久坂玄瑞などの勤皇の志士たちが、角屋で尊王攘夷運動の密議を重ねたところでもあります。 新選組刀傷の角屋 井戸 新選組の刀傷 おくどさん 西郷隆盛が行水に使用し…
島原は京都駅からほど近いところにあります。 江戸時代以来栄えた花街として発展し、寛永18年(1641)官命によって島原の前身である六条二筋町から現在の孔雀野の地に移されました。その移転騒動が、九州で起きた島原の乱を思わせたところから、島原と呼ばれ…
いつも祇園祭でばてて8月はあまり出歩きませんが、 初めて壬生六斎念仏を見に行ってきました。 18時過ぎに到着。 歩いている途中で太鼓の軽快な音が聞こえてきて、 20時からなのに?と思っていたら、 子供たちが演奏していました。 そして獅子舞と蜘蛛が登…
四条壬生にある元祇園社梛神社 ここには、御供石と呼ばれるものがあります。 「祇園祭」の山鉾巡行の時、この石の上に神饌をおき神にそなえたもので、 もとは下京区御供石町(万寿寺通り烏丸西入)にあったが、 昭和七年に町内の役員・若者により梛神社境内…