京都散歩道

数年前、某SNSで活動していた「京都散歩道」。このたびブログにて復活しました。京都をいろいろ巡っていますので、少しずつご紹介していけたらと思います。最近は平安京巡りにはまり中。過去のデータを移行したら、写真が一部見れないので、また修正します!まとめサイト等、他サイトへの文章・写真の転載はお断りします。

2018-08-01から1ヶ月間の記事一覧

自分のルーツを辿る8 愛媛旅行⑦ 松山市 千舟町、南持田町

父方の曾祖父母、戒能宇三郎とアサノ(旧姓八木)は、1920年頃にこの街に来て、薪炭商をしていました。そしてアサノの弟基一は警官でしたが、同じ頃千舟町に引っ越して骨董商をしはじめました。 ※何度も書きますが、戒能はわかりやすくしているだけで、実際…

自分のルーツを辿る7 愛媛旅行⑥ 久米郡南久米村 日尾八幡神社、鷹ノ子温泉

さて、鷹ノ子での最後はこちらです。 八幡宮は源氏が信仰したことでも知られています。 松山市南久米町2 石●改修寄付● とあり、二段目に高須賀小三郎、景浦長次郎、戒能政太郎、三段目に景浦和三郎、景浦ウヽ(ウメ?)、五段目に八木庫次郎、一番下にも八木…

自分のルーツを辿る6 愛媛旅行⑤ 久米郡鷹ノ子村 遍路石

浄土寺の方から線路を渡って、南へ行くと、まず見えてきた石碑がこれです。 事前に遍路石に景浦の名前があることは知っていたので、見に行きました。 左 へんろみち 、すぐこんぴらみ(ちは地中?)、國中 家内安全 嘉永二年(=1849) 助力当村中 世話人 景…

自分のルーツを辿る5 愛媛旅行④ 久米郡鷹ノ子村 浄土寺

私の曾祖父の祖父、戒能助次郎は鷹ノ子村に住んでいました。 その次男は別の家に養子に入って跡を継ぎ、景浦家の次女と結婚します。 浄土寺に本家の墓がありますが、この次男と養子先の親以降しかありません。 そして、その子供(曽祖父)が、鷹ノ子の湧出地…

自分のルーツを辿る4 愛媛旅行③ 南方村 熊野神社

はじめに・・私の両曽祖母ツナが高須賀になります。 戸籍によると、則之内村高須賀源八の長男伊五郎の長女になります。 ただ、ツナのメモでは、源八ではなく綱次なんですよね。 両曽祖母がわかりにくければ、下記系図をご覧ください^^; 『川内町誌 第二部三…

自分のルーツを辿る3 愛媛旅行② 則之内村 三島神社

三内村は河之内村、則之内村、井内村からなります。 明治22年の町村制により、字 徳吉、則之内北、則之内南、永野、一ケ谷、保免、和田丸、惣田谷上、惣田谷下は、下浮穴郡三内村則之内となり、明治30年4月に温泉郡となりました。(曾祖母高須賀ツナは惣田谷…

自分のルーツを辿る2 愛媛旅行① 川上村 川上神社

2017年3月の連休に、愛媛へ行ってきました。(いまだ全然まとめられていない) 同様に調べている人たちと、どこかで繋がればいいなぁと思い、公開できるところだけ書いて行きたいと思います。 ということで、ちょっとだけ歴史について触れますね。 私は先祖…

自分のルーツを辿る 1  ルーツの調べ方

私のルーツは愛媛県にあります。 私の両親はいとこ同士なので、祖父母が姉弟です。 さらに曾祖父母も兄妹だったりします。(詳細はもっと複雑ですが・・) そして曾祖父母の代までは、愛媛県下浮穴郡三内村(今の東温市川内村)にいました。 祖父が残した自伝…

【まとめ】天皇陵墓

歴代の天皇の陵墓は、宮内庁の管理下にあります。 皇室典範によると、天皇、皇后、太皇太后、皇太后の墓を「陵」、皇太子や親王などの皇族は「墓」と定めています。多くは幕末から明治年間に治定されました。 ちなみに・・ 「天皇」は、崩御されてから贈られ…

島原散策② 角屋、歌舞練場跡碑、伊藤軒

角屋。いつみてもこの見事な景観は素晴らしいですね。 久坂玄瑞審議の角屋 幕末、西郷隆盛・久坂玄瑞などの勤皇の志士たちが、角屋で尊王攘夷運動の密議を重ねたところでもあります。 新選組刀傷の角屋 井戸 新選組の刀傷 おくどさん 西郷隆盛が行水に使用し…

島原散策① 島原大門、輪違屋

島原は京都駅からほど近いところにあります。 江戸時代以来栄えた花街として発展し、寛永18年(1641)官命によって島原の前身である六条二筋町から現在の孔雀野の地に移されました。その移転騒動が、九州で起きた島原の乱を思わせたところから、島原と呼ばれ…

壬生寺 壬生六斎念仏

いつも祇園祭でばてて8月はあまり出歩きませんが、 初めて壬生六斎念仏を見に行ってきました。 18時過ぎに到着。 歩いている途中で太鼓の軽快な音が聞こえてきて、 20時からなのに?と思っていたら、 子供たちが演奏していました。 そして獅子舞と蜘蛛が登…

【総まとめ編】 祇園祭 元祇園社梛神社の御供石(ごくいし)、悪王子社の址

四条壬生にある元祇園社梛神社 ここには、御供石と呼ばれるものがあります。 「祇園祭」の山鉾巡行の時、この石の上に神饌をおき神にそなえたもので、 もとは下京区御供石町(万寿寺通り烏丸西入)にあったが、 昭和七年に町内の役員・若者により梛神社境内…