四条壬生にある元祇園社梛神社
ここには、御供石と呼ばれるものがあります。
「祇園祭」の山鉾巡行の時、この石の上に神饌をおき神にそなえたもので、
昭和七年に町内の役員・若者により梛神社境内に移した。」
とあります。
御供石町(ごくいしちょう)はこのあたりになります。
御旅所もないし・・なぜここなんだろうと思いながら町名を見ていたら・・あっ!
御供町の隣には悪王子町がありました。
八坂神社の摂社に悪王子社というのがあります。
素戔嗚尊の荒魂を祀ります。「悪」とは強力という意味があり、とくに霊験あらたかな神とされています。もともとは東洞院四条下ル元悪王子町にありましたが、天正年中(1573~1592)に、烏丸通万寿寺下ル悪王子町に遷し、慶長元年(1596)四条京極に遷し、明治10年(1877)に今の場所に移築されました。
四条東洞院下ルのところにぽつんと石碑だけがあります。
案内板もなくさみしいですね。
このあたりは今も元悪王子町といいます。
京都ではいろいろ移転しているので、「元」がつくところが多いですね。
ややこしい・・。
元祇園社も、もともと牛頭天王(素戔嗚尊)の神霊を播磨国から勧請したのがここで、のちに八坂神社へ遷祀したといわれています。
悪王子社が、悪王子町にあったときに、御供町で御供石を使っていたのでしょうね。
八坂神社の素戔嗚尊は和御魂(にぎみたま)とされ、荒御魂と和御魂の二神を一体化して神輿の巡行ができるといわれています。また、久世の綾戸国中神社の久世稚児が荒御魂の化身とされ、稚児が社参しないと祇園祭を始めることができないともいわれています。
この素戔嗚尊は中御座に鎮座されます。中御座と西御座(素戔嗚尊の子が鎮座)の二基が渡御するのが大政所御旅所(烏丸高辻)です。
山鉾巡行で烏丸松原通を通る時、または 神輿渡御で烏丸高辻を通る時に、御供石が使われていたのでしょうね。
個人的には、山鉾巡行というよりは、神輿渡御の方がゆかりが深そうな気がしました。
元祇園社についてはこちらをどうぞ。