この日、元祇園社梛神社で神幸祭があるというので、行ってみました。
実は・・神社の名前すら知らず、行ったこともなかった。
場所は四条通りの壬生(大宮より西)にあります。
それにしても・・こんな壮大なお祭りとは思っていなくてびっくりしました。
前日に知って、内容がおもしろそうで、時間もあるし行ってみようというノリだったのでw
<以下、引用>
素戔鳴尊(すさのおのみこと)を主神とし、宇賀御魂命(うがのみたまのみこと)、伊弉冉命(いざなみのみこと)、誉田別尊(ほんだわけのみこと)などを配祀する。
貞観11年(876)京都に疫病が流行したとき、牛頭天王(ごずてんのう)(素戔鳴尊)の神霊を播磨国(はりまのくに)広峰から勧請(かんじょう)して鎮疫(ちんえき)祭を行ったが、このときその神輿(みこし)を梛の林中に置いて祀ったことがこの神社の始まりであるという。
後に神霊を八坂(今の八坂神社)に遷祀したとき当地の住人は花を飾った風流傘を立て、鉾を振り、音楽を奏して神輿を八坂に送った。これがのちの祇園会(ぎおんえ)の起源といわれる。また、当社は八坂神社の古址にあたるので元祇園社と呼ばれる。維新の頃は田圃の中の一小祠であったが、明治7年(1874)と昭和4年(1929)の復興を経て現在に至った。
境内の隼(はやぶさ)神社は延喜(えんぎ)の制度の大社で、大正7年(1918)蛸薬師坊城からこの地に移祀された。梛神社とともに厄除け、疫病払いの神である。
神幸祭りは、5月第3日曜、氏神祭で祭事のあと、神霊を鳳輦(ほうれん)・子供神輿に移し、北は三条通・南は松原通・東は壬生通・西は土居の内通までの範囲を巡幸します。
御供石。
祇園祭の山鉾巡行の時、この石の上に神饌をおき神にそなえたもので、
昭和七年に町内の役員・若者により梛神社境内に移されたそうです。
お守りもかわいい~。
おみくじになっているみたいです。
御朱印も欲しかったけど、祭りで出払っていました。
改めて来たいですね。
さて、13時に行列が出発とあったので、
12時半につくと・・もう出発の準備をしてるー。
行事もなにやらあったみたいで、ちらっと獅子舞を見たんだけど、
終わったあとでした。
順番に出発しているようだったので、
出てくるところを正面から撮ろうとぐるっとまわりました。
そのままだと鳥居がくぐれないので、
鳥居をくぐってから、上に飾りをつけていました。
こういうのが間近でみれるのもいいですね!
この四条通りに屋台があったから、道路から撮ってます^^;
ちょっと危険・・。
神輿も猛々しい!
迫力です。
花笠も美しい~。
中に入ったわけじゃないですよw
でも、うまいこと中が見えたので、ラッキー。
お花が見えて素敵ですね。
天狗さんまで!
そして、鳥居ばかりに気を取られ、
実は向かい側からも行列が出ていることに気づかず・・。
や、やられた。
もうすでに行列ははじまっていたのですね。
きっとかなり見損ねているであろう・・と思い、
行列の進行チェック。
四条通りから北へいき、またすぐ南に下がってくるのがわかったので、先回りしました。