自分のルーツを辿る30 愛媛旅行26 久米郡 宇氣洲神社
続いて宇氣洲神社へ。こちらも三島神社を祀っています。
東温市田窪 1585 番地
祭神 三島神、大山衹命、雷神、高龗神、十六皇子神
海稲八幡神、譽田別神、息長足帯中日子神
由緒 当社は、以前三島神社と海稲八幡神社と二社別所に鎮座していた。三島神社は、聖 武天皇の御宇神亀 5 年(728)、伊予国司越智玉純詔大三島より勧請したところで、伊予八 十三郷の一宮といった。其の後治承 2 年(1178)国主河野通清尊敬に依り社領を寄附し神 宮司香積寺を置く。元久(1204~1206)の頃、荏原城主平岡氏と志津川の城主和田氏との 戦で社殿が破壊された。其頃、河野親太夫親孝の二男高井太夫兼孝の六男田窪七郎孝村、 同太郎孝通の居所で、河野殿の上屋形堀内殿の趾蹟があったので、閏七月浮洲本郷一宮と して社殿を再築し、水田数町を寄附された。元徳 2 年(1330)越智通孝、社殿を興し自ら 社職となって奉仕した。嘉吉三年(1443)、左近衛少將河野通光は社殿を再し、水田数町 を献じた。 海稲八幡神社は、御三条天皇の御宇延久二年(1070)源頼義が創始した所で、河野高井浮穴田窊白石田井等の諸豪族が深く尊崇していた。嘉永 2 年(1849)3 月 14 日三島神社と海稲八幡神社とを現在の地に合祀し、三島神社海稲八幡宮神社と称したが、大正 2 年(1913) に宇氣洲神社と改称した。今の本殿は明治 11 年 1 月 1 日の改築である。
金比羅道
神の降臨地?
ここの狛犬も玉乗りですね。
河野家の家紋ですね。
昭和54年、歴代の宮司の名前が刻まれていました。
田窪出身従軍者
変わった石灯籠ですね
河野家の家紋入りお賽銭箱。
網がかかっていてよくわかりません。
でも保護のために大事ですよね。
安政2年
これ、築島神社で見た絵と同じタッチですね。
高須賀さんの名前がずらり。
こういう扁額がいいですね。右の絵は大正3年。
石灯籠が迫力でした。これが特に大きかったです。
境外にもありました。