自分のルーツを辿る18 愛媛旅行15 伊予國一の宮 大山祇神社
今年4月、二度目の愛媛現地調査へ行ってきました。
その前に、愛媛の一宮に行きたくて、山口のおじさんと岡山で合流して、無理やり車で連れて行ってもらいました。
たたら製鉄でもあったのかな?
瀬戸内海の小島を渡っていくのはなかなか面白いですね。
(運転は怖かったけど・・)
まずはすぐ右手にある絵馬殿。
河野通信の絵が!
まあ、大正5年って新しいですけどね。。
左側には、本姓越智伊予の人で、父は通清。身長8尺(240cm・・いやありえん・・)、形貌異常(そりゃそうでしょー)。いわゆる武勇伝が大げさに書いてあるようなのでスルーします。
昭和8年。左上に大山祇神社とあり、河野氏が大島の様子を描いたものを奉納したようですね。
鶴姫祭の小松屋台。神輿みたいなものでしょうか。
御桟敷殿。
橋を渡って総門があります。
通例でいうと、ここも怨霊を祀っているってことでしょうか。
広々とした参道にちょっとびっくり。
斎館
そしてふっと見落としそうなところに何か見える!
宇迦神社。
ということはもちろん祭神は、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)ですよね。
この狛犬、すごい珍しい!
後ろ足を上げているのがユニークです。
かなり惹かれました。そしてこれがこの後の井内村、須之内村でもあちこちで見られてびっくりでした。
拝殿の向こうに橋、社がありました。
十七神社
室町時代の長棟造。
中が見れないのが残念ですが、木彫りの御神像が安置されているとか。
乎知命(おちのみこと)の手植えの楠
葛城神社、祓殿神社、伊予國総社
河野家とゆかりがあるので家紋があります。
拝殿・本殿
大根締めの注連縄。
通有の兜掛けの楠
弘安4年蒙古襲来にあたり通有は当社に参詣祈願し、三島水軍を率いて筑前に進発し当神社の神使白鷺の導により勝利を得る。その出陣の際兜を掛けたと伝う、と書いてあります。
本殿右手の橋を渡ると・・
宝篋印塔があります。
鎌倉時代の重要文化財。時宗の開祖一遍上人は河野通広の子として、
松山法厳寺で生まれ、三島水軍河野通信の孫にあたり、一遍上人の絵伝に知られる通り、大三島宮の参拝の折に奉納したものです、とあります。
義経の 鎧まばゆし 緋縅の
真紅の糸も今が燃ゆがに
吉井勇の歌碑
もちろん宝物館も入りました。
全国の国宝・国の重要文化財の指定を受けた武具類の約8割がここにあるんだとか!
河野通信の奉納した鎧やら、義経の奉納した鎧(ちょうど少し前にレプリカを見ていたので、感動!)やら頼朝奉納の鎧・・。
他、義仲、護良親王、もちろん刀とかずらり。
これは一見の価値ありです。
そして西に進んでいきます。
日鉄鉱業(株)物故者慰霊塔
それにしても変わった形ですね。
祖霊社
河野家の家紋があります。
現住所大阪となっていますが、
長堀橋築20年
越智姓河野庚蔵通寛
嘉永元年生
と読めました。
神輿庫
左から御鉾(おほこ)神社、八重垣神社、酒殿
手前から、石神社、稲荷神社、地神社、院内荒神社
本殿裏、姫小邑(ひめこむら)神社
隼人の舞
薩摩の隼人族が大和朝廷の貢物とした芸能が隼人舞だと言われている。
その祖形は山幸彦が海幸彦に勝利した物語を表現したものとも言われ、隼人族と朝廷との親密な関係があったことが「日本書紀」から読み解ける。
現在隼人舞hあ隼人の鹿児島神宮で伝承されており、
歌舞伎成立以前の古代芸能として、大変貴重な文化遺産である。
と書いてあります。
歌舞伎以前の芸能・・見てみたいですね。