京都散歩道

数年前、某SNSで活動していた「京都散歩道」。このたびブログにて復活しました。京都をいろいろ巡っていますので、少しずつご紹介していけたらと思います。最近は平安京巡りにはまり中。過去のデータを移行したら、写真が一部見れないので、また修正します!まとめサイト等、他サイトへの文章・写真の転載はお断りします。

明智藪、小栗栖八幡宮(小栗栖城/小栗栖館)

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地下鉄石田駅から歩くこと数分・・。

民家の中を通って行きますが、途中に案内板が出ているのでわかりやすいです。

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「近江坂本城明智光秀は1582年(天正10年6月2日)早朝中国地方へ出陣のため上洛していた織田信長を本能寺に襲撃して自刃させた(本能寺の変)。その後光秀は6月13日山崎の合戦で秀吉軍に敗れ、近臣中数名とともに暗夜に乗じて坂本城を目指したが、途中小栗栖の付近に差し掛かると信長の近臣小栗栖館の武士集団飯田一党の襲撃によりあえない最期を遂げたと言われている。

この明智藪は今日に至るまで戦国武将明智光秀の終焉の地として傳えられており、現在は西側にある本経寺(日蓮本宗)の寺領となっている。

平成3年2月吉日 京都洛東ライオンズクラブ

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石碑のさらに奥に行くとちょっと藪らしきものはありました。

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が、右側はこんな感じでした・・。

 

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ついでに小栗栖八幡宮も行ってみました。

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こういうちょっと高台にあります。

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「祭神:応神天皇仲哀天皇神功皇后

創建:清和天皇貞観4年(西暦865年)竹内宿禰の子孫である紀古道(別の説明では紀興道とも)という人が関東の守護を命じられ下向するにあたり、男山八幡宮の分霊を勧請し此の地に小栗栖八幡宮を創社したと伝えられています。社頭が東を向いているのはその謂れを示しています。爾来(じらい/以来)この小栗栖の産土神として人々の尊敬を集め今日に至っています。」

よ・・読みにくい。

調べたらコース図というのがあって、これと同じ文で読み取れたので参考にしました。

 

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ちなみにここは小栗栖城(小栗栖館)跡でもあります。

鎌倉末期に地頭として入った飯田源源五郎家秀が築城し、その孫の永盛がこの地に住んだとされています。以後飯田氏の居城となり、代々神主を務めたようです。

明智光秀を討った飯田一党のことですね。

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この石垣が当時のかな・・とも思いながら。

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本殿正面。

 

それにしても薄暗い寂しい場所に住んだのですね・・。